多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧多古町

千田(ちだ)

村の文書

 旗本宛の通達文
 村に残る古文書に、揺れる幕末の世相の一端をうかがわせる一文がある。それは、記されている干支(えと)と文の内容からみて、安政五年(一八五八)のものと思われるが、この年には大老井伊直弼が尊王攘夷派の志士多数を投獄したいわゆる安政の大獄事件があり、幕府は鎖国政策を支えきれず英・米・蘭・露・仏各国と修好通商条約(安政五カ国条約)に調印した年でもある。
 江戸では二月と十一月の二度大火があったうえコレラが大流行し、東海地方は地震と津波に襲われ、東北地方は前年からの飢饉に苦しみ、大原幽学の自殺もこの年であった。
 内政外交の政治面にも社会情勢面にも異変の多い年に出された通達文が次のものである。
 
   御触書之写
 去巳年陸奥・出羽稀之違作ニ付、江戸廻米無是、右両国者場所ニより飢餲之者も有之趣風聞世上江相聞、米穀囲持候人気押移利潤之ため不埓之売買をもいたし候哉、江戸表者勿論在々迠も米価高直ニ相成、末々の者可為難義ニ候義ニ付、関東筋国々之儀、米麦雑穀共其村町限り村役人共より相改、小前所持之分夫々家内人別引合、当年新穀出来候迠之手当を残し置、其余分者持主限り最寄高町江売捌、又者江戸廻しいたし、地廻り米問や並ニ脇店米屋共江売捌、在々穀類商売之者たり共不法当之石数買持候儀不致、其土地凡之弁用ヲ見積、其余り之米穀早々江戸廻し之上、前書之通り売捌方可致候。
 右ニ付売買並ニ津出シ廻船等相互ニ正路ニ可致者勿論ニ候得共、別事無差支候様遅々可被取斗候。若妨候類之者有之候ハヽ早々可訴出候。
一、身元相応之者共銘々心得以窮民を救心候ため、米麦雑穀囲置候者有之候ハヽ、右者別段之儀ニ付右数等銘々御領者御代官私領者地頭より、早々申達置候様ニ可致候。右ニ付押而改之者差遣し候儀も可有之候。然し前書之次第ハ差懸り候儀ニ付、心違之者無之様為教諭兼関東在々致廻村御代官手附手代等此節より相廻し候。右之通り関東筋国々領分知行有之面々可相触候。
     午正月
 
 此度関東筋国々米穀之義ニ付御触有之、右御趣意為教諭追々廻村いたし候間、兼而御触之趣相心得左之通り可書出候
一、村限り新穀出来候迠之扶食ヲ引、余分者米麦雑穀売買ト可相成分可書出候
一、身元相応之もの、窮民救ひのため囲穀可書出候
一、在々宿町穀商人共、買貯所持之米麦雑穀共所持之高可書出候
一、川々河岸之問屋共江も、江戸廻米之心得津出し有之売米高可書出候
   但し武家方廻米高茂有穀も可書出候
一、貧民多ク夫食引足不申場所ハ、可成丈ケ有(裕)福之もの所持ヲ融通いたし遣助合、其余り手当無之買人方差支候向者早々可申立候
一、有福之者共貧民救ひ助合呉遣候、金銭米穀高又者貸渡し高可書出候
一、穀商人共在々市町ニをゐて空米売買博奕同様之勝負いたし、米穀直(値)段引上ケ、貧民難儀ニ相成候風聞有之不届之至りニ付、召捕可差出旨従御奉行所御沙汰ニ付厚申諭置べく候
 右之趣御改革組合大小惣代より御触之趣、村々得と申諭早々取調置、別紙案文之通り達し次第無遅滞可差出候。若シ御触之趣不取斗者有之候ハヽ、早速惣代共より我等廻り先江可申越候。尤売米之分ハ安直段等ニ而売払ためニ候筋等ニ者聊無之、売買ハ成丈ケ手広勝手次第ニ候得共、江戸表者勿論在々之内ニも麩食引足不申場所有之、万々貧民餲命ニも及候次第無之ためニ候。
 米穀員数取調米価引下ケ一統安心穏ニ家業致候抔と御仁恵筋之御取調方ニ付、村々役人共勿論小前之者不正之筋聊無之、正路ニ申合寄持之心ヲ相互ニ心懸ケ貧民を救ひ、成丈ケ麩食喰延し、余り分者売買いたし、高直ニ不相成様ニ可取斗候。
 且御触之儀者領主地頭より相触承知ノ事ニて候得共、猶写相廻し候此廻状並ニ案文等御改革寄場宿町村役人披見写取請印いたし、昼夜刻附を以早々順達いたし、其上組合村々江相触寄合成丈ケ差急キ前条之通り可取調候。廻状者留より可相返候。以上
   関東御取締出役
    山本大膳手代
      河野啓助殿
      堀江与四郎殿
                                  下総国香取郡
                                    多古村外四十八ケ村
                                    篠本村外十ケ村
                                    万歳村外三十三ケ村
                                    伊能村外九ケ村
                                    小見川村外五十七ケ村
                                  御改革寄場組合
                                   右宿町村々役人
 
 前の文は、幕府から関東地方の大名旗本各家に出した通達で、米価暴謄を抑えるために、支配下の村役人を通じて周知させるように、というものであり、後の文は、前文の通達に基づいて具体的な方法を実施するために関東取締出役から村役人へ通知したもので、米の買占めを禁止し、適正な値段で売るのが当然であることと、この通達は国民が安穏に生活することを目的としたものであることを述べている。
 次に載せるのは、右の通達の三年ほど前に組合村々で定めた規定であるが、演芸などの催し物を禁止するもので、内容はかなり厳しいものである。原文は次のとおりである。
 
   議定書之事
一、従先般狂言手踊抔之事、厳敷御停止ニ候所、不得止事神事祭礼ニ事寄せ、獅子舞神楽之跡ニて狂言等相催候村々も、両三年之内ニ五六ケ村斗り有之、右之趣御取締様江達御聴ニ、御廻村先江御呼出し上、役者共夫々令懲之ため厳重之御吟味ニ相成り、又者村役人親郷迠蒙御呵、一言之申訳も無之次第、其上右衣裳鬘等ニ至迠御取上ケ之上眼前御焼捨ニ相成り、何程之品たり共御停止を犯し候咎無是悲次第ニ御座候。
 然上右役者共義者種々御慈悲御歎願申上候所、御呵之上御下ケ相成候得共、向後組合村之内何れ村ニても右様之義携り稽古致し候ものハ、其小組合村限り吟味致し、早速元村へ可申候。夫ニても聞入不申候ハヽ親郷江可申出候。
 若心得違候ハヽ当人者勿論村役人迠厳重御沙汰可申付候間、急度相慎以来心得違無之様可被致、右之趣組合村々一統承知之上議定連印之一札仍如件
   安政二卯(一八五五)六月
 
 以上が原文である。
 世上不穏のとき、遊興に流れる農民を戒めたものであるが、娯楽を求める民衆の心情もまた見逃すことはできない。