多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧多古町

島(しま)

宗教/神社・寺院

 字中通一九八一番地にあって、数通の区有文書がその行方を物語っている。『旧明細書』(年月不明)には、
 
   由緒不詳 創立年月日不明 開山不明
  一、本尊日蓮大士木像一躯 御許可の寺号 移転ス
  一、過去帳一冊信徒三名 御許可ノ上組寺妙薬寺へ加信編入ス
  一、本堂 桁五間半梁四間半
  一、境内坪数 五百八十九坪   (以下省略)
 
とあり、明治三十六年には次の書類が提出されている。
 
       廃寺願
                  千葉県香取郡多古町島
                                         本覚山妙光寺末
                                          日蓮宗 大相寺
香取郡多古町島千九百八拾壱番
字中通
一、境内反別 壱反六畝拾五ト(歩) 有租地
同所千九百八拾弐番
字中通
一、宅地反別 参畝ト  持主大相寺 有租地
一、堂宇壱棟 間口伍間参尺 奥行四間参尺
   但壱間四尺奥行参間参尺ノ玄関付キナリ
  右大相寺之儀ハ、当区妙光寺之末寺ニシテ、境内ハ故来ヨリ税地ニシテ、地租諸税等檀家ニテ相納メ来リ、去ル明治拾四年ヨリ、堂宇境内共悉ク島尋常小学校舎ニ貸借約定済ノ上使用罷在候処、仝拾五年ニ至リ、無住無檀之不幸ニ陥リタルモ、区内協議之上諸税等ハ、区費ヲ以テ年々相納メ、依然トシテ、学校ニ仮用致居候。
  然ルニ今般小学校令改正ニ相成、寺院ノ名称ヲ廃シ、学校ニ変更セシムルノ不得止義ニ付、此際廃寺之義願出候間、何分前条深ク御憐察之上御聞届被成下度、別紙図面及貸借約定書・謄本相添へ此如奉願上候也
   明治参拾六年参月十九日        社寺惣代人 宇井市郎兵衛 印
                      仝   戸村繁蔵 印
                      仝区長 宇井孝一郎 印
                      [仝郡仝町千田日蓮宗廣宣寺住職] 紀川日明 印
                      [法類ノ義当区内ニ参ケ寺有之候処曽テ皆廃寺ニ相成目今更ニ無之候]
  千葉県知事石原健三殿
 
 この廃寺願いによって跡地と建物は無償で払い下げられ、実際は多古尋常小学校の分教場であった島小学校が、従来どおり使用することになった。
 しかし、翌三十七年にこの分教場が廃止されたこともあって、本堂と境内を、新寺建設の資金に充てるため組寺である妙薬寺住職へ売却し、栃木県足尾町へ移転した。それが明治四十一年秋のことである。