多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧多古町

多古(たこ)

宗教/神社・寺院

 字居射二五五〇番地にある。日蓮宗で釈迦多宝四菩薩を本尊とする。『香取郡誌』に、「寺伝に弘安中(一二七八~八七)常在院日朝の創建とある。日朝は本姓藤原氏兼綱と称し、上総国藻原の人で、後に日蓮に帰依しその弟子となった。祖師堂の日蓮座像は日朝の時彫刻したもので、一木三体の祖像と称し、日蓮はその像に自らの鬚髯を付して、「鬚の祖師」と名づけた。初め染井村小原にあったが後に今の地に移した。元禄四年(一六九一)正月徳川光圀が本寺に詣り祈祷を命ぜられ、宝暦四年(一七五四)三月葵章を付すことを許された」とある。

妙印山妙光寺(祖師堂)

 染井から多古に移った年代は明らかでないが、『多古由来記』には「文禄・天正の名寄帳にも慶長七年(一六〇二)の小縄帳にも坊号寺十六カ寺、妙薬寺とも十七カ寺で、妙光寺は載っていないので、慶長の末年か元和中(一六一五~二三)に引き移ったとみえる。古書に「寛永四年(一六二七)江戸谷中法恩寺の古堂を移し、今の堂は享保十四年(一七二九)六月の建立」とある。
 明治の『社寺明細帳』には
 
     千葉県管下下総国香取郡多古町字居射
                               法華経寺末
                                  日蓮宗 妙光寺
  一、本尊   妙法五字釈迦多宝四菩薩
  一、由緒   不詳
  一、堂宇間数 間口九間 奥行六間三尺
  一、境内坪数 千九拾弐坪  官有地第四種
  一、境内仏堂 弐宇
     祖師堂
      本尊 日蓮上人
      由緒 不詳
      建物 間口七間三尺 奥行七間
     摩利支天堂
      本尊 摩利支天
      由緒 不詳
      建物 間口四間 奥行三間
  一、住職   甲斐本耀
  一、檀徒人員 千七拾四人  以上
 
 このように記録されている。
 また、元禄十一年(一六九八)日本寺三十四世取要院日言によって書かれた『妙印山縁起』が同寺に保管されてあり、次にその主要部分を載録する。
 
     妙印山縁起
 下総国多胡村妙印山妙光寺者 常在院日朝聖人之所開闢也 父名茂原遠江守兼綱相伝蓮祖遊学之外護也 焉(ここに)日朝総角(小児)聞道壮年大成 更運弘法之志建立当寺 仏閣僧院輪奐耀美 本尊脇士鋳以金銅 竟以弘安六年癸未五月廿五日安然化矣 寺院艸(草)創者当蓮祖之在世的也(あきらか)日朝之名中老之列雖未見之 以時推之則是亦直弟也 第二世日通屈請正中山之三世日祐聖人 転大法輪経営供養之規式実延文四年十一月廿七日也 是則当国初転法輪之霊地也 (中略)此寺始在元染井 天正五年有号牛尾能登守胤仲法謚日仲 領玆処時以此寺為祈願所 以路程較阻往復有難移置斯地 寺前之城山則彼古城之遺縦也 祖堂所掛鰐鐘亦能〓(けずり)之天正五年所寄付而〓刻未冺今猶存焉(後略)
   元禄十一龍舎戊寅歳五月日
                                    正東山日本黌寺
                                         取要院日言記
 
 なおこの縁起書は、享保二年(一七一七)に妙光寺二十四世智雲院日信が書き写したものであることを付記する。