多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧多古町

多古(たこ)

宗教/神社・寺院

 字高根二七八五番地旧真弘寺跡にある。古多古城主牛尾能登守胤仲の霊を祀り、慶長十九年(一六一四)の建立と伝えられる。後述の「多古城主牛尾胤仲」の項にも記したが、『多古由来記』に「……其後能登守亡魂を城山より鬼門に当りし高根真弘寺に法花勧請、親社大権現に祭り奉り、今もって二月八日奉謝祭礼これあり、御神体を拝するに束帯は黒の装束也となり。それより以来村中尊敬せり」とある。現在の祭礼は毎年一月七日、九月八日の両日行われている。社宝の刀は胤仲が生前使用したものといわれ、晩年寄寓したと伝えられる島の郡司勘右衛門が寄進した。鰐口および「奉納」の銭額は、城山から出土した銅銭で鋳造したものである。

親社大神(権現様)

 入口の「多胡古城主平朝臣牛尾能登守胤仲公霊地」の門碑、五〇段の石段、唐獅子、手洗などいずれも高根町内氏子中の寄進である。境内に安政年度の石宮がある。
 供養碑は胤仲卒二五五年に当たる慶応二年丙寅(一八六六)三月八日、町内八日講中によって建立された。本願人は七左衛門・四郎右衛門・庫右衛門・重左衛門・嘉左衛門・忠兵衛・惣右衛門・兵左衛門・徳右衛門・利右衛門であった。
 碑の表に「南無妙法蓮華経 親社大権現誦念自我偈十萬巻成就 八日講中」。裏面に「當寺高檀多胡古城主牛尾能登守平朝臣胤仲侯 法謚正俒院殿高真日仲大禅定門 慶長十七年壬子三月八日卒 尓来于今二百五十五年祭其霊親社大権現 願因鳩之功徳自受法楽之久慧月遍耀于法性之空 化他利物之暁徳風遠禳乎災禍之雲耳 慶應年丙寅春三月八日 嶺陰日慧應八日講社之需謹 当寺廿九世文勇日浄代」と刻まれている。
 そして、社殿に掲げられている扁額には次のように書かれている。
 
 維時大正六年二月八日氏子惣代某等、敬而正俒院殿高真日仲大禅門、即当所古城主牛尾能登守平朝臣胤仲公之霊位に白す。
 侯は慶長元年より仝十九年に至る多古郷の城主なり。上を尊び下を憐み能く治績を垂たる事は、古老の言に依り未だに当住民の偈仰する処也。
 謹而歴史を按ずるに、元亀天正より慶長に至る年間は、古来史上に見るも本朝乱世の最中にして、弱肉強食智計百出、権謀術策を逞しく骨肉相喰むも意とせざるの世なり。
 当時公は当所大宮大神の下なる源氏堀に本城を構え、禄三万石を領し武勲赫々の時なり。現時俗称城山は切通しをなし眺望佳く、隠居所を定め家門相栄之威を四隣に振いたり。
 時ありて一日諸公会することあり、場所を其の中央なる佐野台に定め事を議す。是れより先飯櫃の城主山室飛弾守異志を抱き、一門と共に不意にその場を襲い、当城主は事の意外にして其の備へなく且衆寡敵せず防戦破れ、当地字桜宮なる昔時口碑に伝る妙光寺に退き、遂に武士道を全し終りぬ。
 尓後息女あり吉田村山崎現依知川保次郎氏祖先に嫁す。家宝あり往古を回想すべき短刀を蔵す。某等正に之を拝し遙に古今を俯仰し、感慨無量に堪えさるものなり。
 玆に年遷り徳川の御代に至り、一万石余を以って久松家当地々頭たり。先の城主を尊び、当町内を卜して、現時の場所に安置す。尓来町内の守護神として大正の今日に至る。
 某等往時を回想し、玆に町内一同相集り聊か神影を清め神域を収め、尚益々将来神霊の光輝ならん為、謹而此の盛典を挙げ誄詞を奉るもの也。某等霊前に跪き 恭白