多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧中村

南中(みなみなか)

宗教/神社・寺院

 題目塔の奥に、一段高く垣に囲まれた墓碑群が見える。これが当寺とゆかりの深い多古藩主松平(久松)家十代勝権(のり)、十二代勝慈(なり)、十三代勝親(ちか)およびその家族の墓所である。松平氏と当寺との関係についての詳細はここでは省略するが、同家使用のものと思われる駕籠(女物か)が一挺庫裡に保存されてあり、また同藩陣屋の玄関が多古第一小学校旧校舎に使用され、改築の際に解体した材料一切が、来るべき復元の日を望みながら保管されていることを付記しておきたい。
 墓所内に建てられている墓碑は、次のとおりである。
 
 一、十代 松平勝権 慶応四戊辰年閏四月二十有三日(六十三歳)
     至徳院殿厚仁恵想日清大居士
 二、十二代久松勝慈 明治三十七年十一月二日 享年五十歳
     従四位子爵徳本院殿勝慈海淑日允大居士
 三、(勝慈夫人)俗名久松昌子 昭和十四年十二月二十四日 行年八十二歳
     致徳院殿妙昌日修清大姉
 四、(勝慈弟・勝定) 大正九年一月三十日
     真如淳信院勝定日進居士
 五、(久松家累代之墓)
  十三代久松勝親 昭和十七年九月十三日 行年五十五歳
     徳晃院殿勝親慈慧日寛大居士
     久松勝治(勝親二男) 昭和十九年九月戦死 行年二十三歳
     宏徳院殿勝忠日治居士
     久松治子 昭和四十年四月二十八日 行年九歳
     春霄院日治清童女
 六、(勝親長女・和子) 昭和十五年一月十二日 二十三歳
     清蓮院如和日香大姉
 七、(勝親弟・勝義) 明治二十九年二月七日 俗名勝義 行年一歳
     慈雲院法徳日義童子
 八、本覚院殿宗理日性童子 大正六丁巳年四月建之