多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧中村

南中(みなみなか)

宗教/神社・寺院

 字高田一三二八番の一に所在する。周囲に堀をめぐらし、一見して城跡と思われるところで、口伝にも、千田胤貞が居城とし、その守護神として勧請されたものといわれている。高田の家々を真下に見、栗山川の流れから多古の町並み、島城跡、さらには光町篠本地区一帯を眺められる台地の突端である。

高田妙見神社

 現在の参道は多古に近い家並みの端にあり、胸を突く急坂は曲折して、近づく人を拒んでいる。昔の水の汲口でもあったかと思われるところを登り切ると、雨履いのついた本造社殿がある。
 さる年の六月に、地区有志の協力を得て、本殿の扉を開いていただく機会に恵まれたが、その中には妙見菩薩の木像一基が見られた。それは約三〇センチほどの座像で、江戸時代のものと思われた。
 また「奉祭礼鎮守妙見大士 元禄十四年辛巳(一七〇一)正月十五日」と書かれた一枚の木札があり、さらに「巨栄山徳成寺開基 飯土井城々主 千葉大隅守胤貞公 後徳院殿日叡大居士 建武三年(延元元=一三三六)十一月二十九日遷化」の位牌と、胤貞と思われる人物を模写したものの写真版が額に入れて安置されている。
 胤貞については別項にも述べてあるので詳記はしないが、千田庄領主で千田を姓とし、その猶子・日祐を援けて日本寺の創建に尽した人物である。このことは同寺と関係の深い中山法華経寺の元徳三年(一三三一)九月四日付で、「下総国千田庄原 中村 金原三ケ郷の内の田地を譲与する」とした胤貞から日祐に宛てた文書からも明らかである。
 また、この位牌にも記されているように、飯土井城主であったことが伝承に残っているが、その城砦は別に「分城(ぶんじょう)」といわれ、現在「お馬場」と称されている約一町五反歩ほどのところで、江戸時代に多古領主松平氏がそこを馬場としたともいわれている。いまは、わずかに土塁を見ることができる。南中字飯土井台一九五六と、同一九七四番地がその場所である。
 境内わきの畑地側には大きな空壕と築堤がめぐらされていて、本殿裏(西方)の空壕を越えると、一段と高い小丘になっているが、これは物見塚かと思われる。さらにその北側は低地となって「寺山」と呼ぶ山林で、芝の徳成寺跡であるといわれている。同じ城跡にあったためか、徳成寺は妙見社の別当寺で、正月十五日のお備社に際しては徳成寺住職が祈禱し、後に神主が祝詞をあげる慣習であるという。神仏混淆の名残りともいうべきであろうか。
 なお、同社東方一帯からしばしば土器片を出土することがある。それは、「一の屋敷」と呼ばれるところであるが、湖沼地帯であった場所を避けて高台に生活した古代人の、一般的な住居跡と思われる。
 この社は、一説には村の旧家であった依知川忠右衛門家の氏神であったともいわれているが、今は高田の産土神として、その営繕・運営は全戸によってなされている。
 昭和三年に、時の南中区長平山仁助が社掌松崎重雄に宛てた報告書には、次のように記されている。
 
   千葉県香取郡中村大字南中字高田
               無格社 妙見社
一、祭神 天御中主命
一、由緒 寛永十年(一六三三)五月 佐倉少将大炊頭勧請
一、社殿 本殿
一、境内 二百五十坪
一、氏子 九十四戸
一、氏子・崇敬者ノ過去ヨリ現在ニ至ル状況
  往古ヨリ妙見社ト称シ、維新ノ際無格社ニ列セラル。本村南中字高田ノ高台ニ鎮座シ、古昔ヨリ村民ノ崇敬厚ク今日至ルモ尚劣ヘズ。
一、社殿ノ営繕及境内整理状況
  社殿営繕ノ際ハ、区長組長協議ノ上氏子ヲ代表シ出願、許可ノ上枯損木ヲ伐採シ、尚氏子ノ寄進ニ依リ修理ヲ為スヲ例トス。
  境内整理ハ区長管理ノ許ニ植林其ノ他整理ヲナス。而永久保存ニ努ム。
一、崇敬心涵養ノ為メ殊ニ努力シツヽアル事項及其経過
  本社ハ大字南中字高田ノ高台ニアリ、前面水田数十町歩ヲ直下ニ瞰シ、区民ハ一生一代ノ祝儀ヲ神前ニ報告シ安寧福利増進ヲ祈願シ、年々旧正月十五日奉謝祭ヲ挙行シ今日ニ至ル。
一、崇敬心涵養上困難ナル事項
  無シ                                         (以下略)
 
 祭神の天御中主命は妙見様の異名であり、千田胤貞を含めた千葉氏一族の信仰が深く、北斗七星を神化したものである。
 境内には、村人の信仰心の厚さを偲ばせる奉献物も多く、文化十一年(一八一四)の手洗い、文政五年(一八二二)に柴田太治右衛門、依知川さん女、それぞれの寄進による石燈籠一対がある。文久二年(一八六二)の燈籠一対のうちの一つには「御神鐙維時文久二龍集壬中冬吉辰 当処願主柴田太郎兵衛」、他の一つには「御神鐙維時文久二龍集壬戌中冬吉辰当処寄主宇井紋四郎」と刻まれている。また、松と亀の絵を刻んだ板石があり、これは明治三十二年に当所宇井氏が奉納したものである。
 石段の竣工は大正十一年十二月。花崗岩で造られた鳥居は昭和三十七年の建立である。
 また、同社域内本殿の左手に、やや小型ではあるが同型の社殿があり、これには鬼子母神が祀られている。社殿前にある石燈籠には「奉納御宝前 文政五壬午(一八二二)正月吉日 高田女講中」と刻まれている。