多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧常磐(ときわ)村

川島(かわしま)

宗教/神社・寺院

 字谷二一三番地にある。旧小学校跡地から宮本に至る旧通学路の左側に墓地があり、その北側の、現在山林になっている平地が蓮成寺址であるという。

妙法山蓮成寺址

 飯高城主平山氏が退隠して入寺したといわれるが、年号、歴代など不明な点が多い。ここに参考として『香取郡誌』からその記述を転載する。
 
 蓮成寺址。常磐村川島字谷に在り今耕圃たり 寺伝に曰ふ 本寺は僧日門なるもの之を開基し 永禄中蓮華坊日性之を中興す 日性旧と平山氏持常(刑部)と曰ふ 故あり僧となり本寺に退隠せりと 明治卅五年九月大風の為め寺堂壊倒せるを以て 之を本寺顕実寺に合す。(顕実寺への合併認可は、大正三年一月二十六日である)
 平山時常、同常時墓。同村川島字谷旧蓮成寺域内に在りと 時常三河守と称す(一に持常に作る)飯高城主なり 香取古文書に飯高五郎及び北條荘役所地頭飯高彦次郎等あり 蓋し時常の祖ならむか 時常永禄九年十二月廿三日を以て卒す 子常時刑部少輔と称し天正十六年十二月十五日を以て卒す 伝へ曰ふ 時常は千葉氏の裔にして 祖先以来本村を領し 天正の末年に至り農に帰し 子孫尚存す。
 
 この寺址に隣接して墓地があり、十二世日恵、二十四世日昌の墓碑と、次のように刻まれた高さ六〇センチほどの題目塔が建っている。正面に「南無妙法蓮華経 宗祖日蓮大士 五百遠忌報恩」左右に「奉唱誦有題三千部 久遠偈三千巻」「安永大十辛丑天(一七八一)十月十三日 願主当邑講中 廿四世日昌代」