多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧常磐(ときわ)村

川島(かわしま)

宗教/神社・寺院

 星宮大神は別称「七島(ななしま)妙見」と呼ばれているが、それは、神社を中心に、七つの小さな島丘があって、そこに柊の古木が茂っていたことによるという。神の木として七方に点在する島に柊を植えたものであり、それに北斗七星のかかわりをもたせて、七星、星宮大神と称したものであろう。
 なお、節分の日に、厄除けとして家の入口に柊の枝を差す風習がこの地方にあったが、川島では行われていないという。
 明治の神社台帳は星宮大神について次のように記している。
 
    千葉県管下下総国香取郡常磐村川島字ヤシロ
                                    無格社 星宮大神
  一、祭神 天御中主命
  一、由緒、元和二丙辰年(一六一六)勧請ノ由 古老ノ口碑ニ存ス
  一、社殿間数 間口壱間 奥行壱間
  一、拝殿間数 間口三間 奥行弐間
  一、境内坪数 弐百参坪
  一、信徒人員 弐拾三人(以下略)
 
 祭神の天御中主命は北斗七星を神格化したものといわれ、北総地方一帯を領有した千葉氏の守護神であったためか、おおむね各村に一社は祀られている。なお、祭日は毎年二月二十日となっている。
 寛政四年(一七九二)前後に、江戸の高名な歌舞伎役者や豪商が参拝しており、社宝も豪華なものが保存されている。当時、当村浅右衛門家に生まれた鈴木勘左衛門は、江戸に住んで東暁と号した才人であるが、ここに「五十首和歌」の額を奉納している。勘左衛門は、文芸に長じ、画も良くし、江戸の粋筋との交流もあったといい、故郷の星宮大神への奉献物について多くの功績を残している。
 本尊は二体あって、ともに木製の立像であるが、一尊は出開帳用のものらしく小形である。
 神鏡は直径四六センチあり、白銅製で、裏面には「人見出雲守、藤原保秀」とある。
 神剣は全長九三センチの直刀で、双刃の刀身に「南無七島妙見大菩薩」、茎(なかこ)(柄の部分)に「水府住穂積弘近」、箱書には、「天明六年(一七八六)二月 鈴木勘左衛門 統春(花押)」とある。鰐口は二個あり、直径三五センチのものには、「下総国香取郡川島村十三日講中 奉納御宝前 明和二乙酉年(一七六五)正月吉日」直径二〇センチのものには「延宝第三乙卯天(一六七五)七月吉日 八代嗣日東 下総国川島村妙見山常住 願主権兵衛」と刻まれている。
 また、錦の幕が幾張かあり、その裏に奉納者の名が次のように墨書されている。「森田勘作 市川団十郎 中村富十郎 同のしほ 山下金作 大谷広右衛門 金井半兵衛」などである。
 当社の奉納物で特異なものがある。その一つは、羽子板に巻物を一巻から三巻つけたもので、拝殿の天井から壁にそって重なるようにびっしりと飾られている。尨大な数である。かつては堂の周囲にも無数に掛けられてあったという。
 また外側の正面には歌を寄せ書きした額が並び、巻物も見られるが、風雨にさらされて傷んでいる。巻物は長さ三~四メートル位、細字で梵字風の文字が三行書かれ、同文が繰り返しその全面に記入されている。信仰心の深い人々が心魂を傾けて奉写したものであるという。
 本殿入口の左右には、衛士として右大臣左大臣像が置かれ、拝殿の欄間に並び掲げられた絵馬には、当時の役者の姿が鮮やかな色彩で描かれている。
 和歌を刻んだ三面の額は、「奉納五十首和歌」と題書され、その末尾に「安永五年(一七七六)六月 惣者勧請 統春奉納」と結ばれているが、文字が風化されて解読が困難である。