多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

通史編

第四章 近世

第六節 宗教と文化

 この項で取り上げる対象は、一般に石造物として扱われる石碑・石塔の外に、社寺の石造施設および梵鐘・鰐(わにぐち)口などの金工品である。
 道標や常夜燈などはかつては実用性を持ったものであるが、石造物の多くは宗教的、または社会文化的な意味を表わし、一定の場所に設置されたものである。社会文化的なものとしては報恩顕彰碑や句歌碑のようなものがあるが、村境に置かれて村を災厄から守るとされた道祖神などが社会的意味を持っていたように、民俗信仰の対象物には本質的に社会的な性格を持つものも少なくない。
 また本項では扱わなかったが、こうしたものを造立・設置する主体は、地域の宗教的または職業的な講や神社の氏子、報恩碑では寺小屋の筆子中であり、句碑では俳諧結社の社中である。もちろん比較的小さな物では個人や少数の同志で造立したり寄進することもある。
 この項で扱ったのは、そうした物のうちの造設年代の刻まれたものだけであって、対象からはずした年代不明なものは相当の数に上る。そうしたものも様式などによる編年手続きを経た上で扱えば万全であるが、今回は紀年銘のあるもの約一千点だけを対象とし、年代はその紀年のままとした。したがって千葉胤直供養の五輪塔のように著名ではあっても無字のものは含めていない。また、一般の墓碑も除外したので、辞世句を刻んだ俳人の墓碑や、報恩のために建てられた寺小屋師匠の墓碑なども含まれていないことを付記しておく。
 数ある文化財の中で、ことさらに石造物と一部金工品だけを取り上げたのは、それらが木造物や紙・布の類と違って焼失腐朽することなく、その造立・設置の意味が生きている限り他に流用されることもなく、ほぼ原位置に固定されているので、そこに刻まれている年代を量的に統計化すれば、それによって地域の文化的、宗教的動向や、またそれを生み出した民力の内実を、歴史的に概観することが、ある程度はできるのではないかと考えたからである。
 とはいえ、中世の板碑の項で触れたように、江戸時代末期から明治時代に著わされた書物に載っていて現在失われている板碑が、当町域に七基もある。また、林から出土した延応二年(一二四〇)の銘のある五輪塔らしい石造物の破片のように故意に破壊され、埋められている場合もある。今後も同じように出土その他の形で発見されるものがあるかもしれない。
 なお、林から出た五輪塔らしい破片は本項の表では除外した。本項は近世の石造物を主としており、近世に五輪塔はないので、それを含める範疇(ちゅう)を欠いているためである。
 本項で除外した年度不明のものには、銘の摩滅損耗したもの、もともと銘のないものなどがあり、それらは年度の明らかなものより年度が古いものが多いと思われる。したがって今回取り上げたものの内で最古のものと考えられるものも、一応年度の明らかなものの内で最も古いという限定つきであることを断っておきたい。
 石造物に対して金工品の場合には、第二次大戦で梵鐘・半鐘が供出させられたような流用も起こる。もっとも多古町では、いったん供出したものが生き残って火の見で活用されている場合もあるが、鐘の場合はそれでも鐘銘の写しが残されていれば、それによってその鋳造年や原位置を知ることができる。多古町では梵鐘供出の際、数人の篤志家がその由緒を惜しんで鐘銘を記録した資料があるので、次にそれらの製作年を年代順に掲げておく。
 東松崎顕実寺・正保二年(一六四五)、南中日本寺・寛文元年(一六六一)、南中妙興寺・貞享二年(一六八五)、寺作東禅寺・元禄九年(一六九六)、東松崎能満寺・宝永三年(一七〇六)、次浦蓮台寺・正徳四年(一七一四)、飯笹地福寺・享保七年(一七二二)、北中浄妙寺・寛保三年(一七四三)、林法林寺・宝暦二年(一七五二)、船越実相院・宝暦七年(一七五七)、多古妙光寺・宝暦一三年(一七六三)、川島妙見尊・寛政一一年(一七九九)、船越大立寺・文化九年(一八一二)、牛尾白幡神社・弘化四年(一八四七)。
 当地方のように石材を産出しない所では、たとえ信仰が厚くても石造物を造設するにはかなりの財力や労働が必要であったはずである。しかし中世の板碑の時代とは異なり、近世は一般民衆もこうした石造物の造設に参加できた時代であるから、その数量と年代によって民力の蓄積を歴史的に見ることができるはずである。
 第23表は以上述べた金石造物の数を造設年代によって示したものである。これによって(紀年銘のあるものに限るが)いつごろ造設が始められ、また盛んになり、いつごろ衰退したかを見ることができよう。一連の流れを対照して見るために中世末から現代も含めて数を示し、さらに中世・近世・現代の対比も示した。しかし半世紀単位で詳細がわからぬきらいもあるため初造年とその所在地を補っておいた。表はそれぞれの種目について単純に推移を物語っているので、種目別にたどっていただければ特に説明は要しないと思う。大ざっぱではあるが、十八世紀をほぼ近世の中期と考えて前後を初期・末期と考えればとらえやすいであろう。
第23表 石造物・金工品の造設年代(1世紀は100~199年として数えた。)
時代15世紀16世紀17世紀18世紀19世紀20世紀合計中世近世現代初造年とその地域
種目  前期後期前期後期前期後期前期後期(~1590) (1868~)
地蔵25331313一六八三 一鍬田
鬼子母神1122一八四七 船越
如意輪観音261046129245一六七四 牛尾
馬頭観音19128131442618一七〇四 五反田
不動尊111一七二五 大門
出羽三山塔111一六七〇 高津原
真言塔7942123212一七〇〇 谷三倉
題目塔15622191046715610一五七五 東松崎
板碑3813967一二六五 谷三倉
宝篋印塔64111111一六五三 多古
回国供養塔1344一七一六 北中
梵半鐘1①4③4④7④2②18⑭18⑭一六四六 東松崎
鰐口124233151131一五七七 多古
庚申塔21971971156542一六八〇 染井
太子塔13431183一七四一 東松崎
道祖神1516171251665511一七〇三 東松崎
石宮626344929281118313251一六七六 次浦
鳥居327214311一八一四 船越
唐獅子11231613一七九二 川島
3141一九一六 南中
石段(神社)43631679一七五五 多古
手洗2111222232723735一七四八 御所台
燈籠772130202761198237一六七〇 南中
道標413813382316一七六五 本三倉
顕彰碑126184325951283一六七〇 出沼
句歌碑153211293一七九六 井戸山
合計3831391051732101511925797067061316 
〔参考〕社寺225411414一六六六 井戸山
・梵半鐘の内の数は,第二次大戦で供出したものである。それを合わせると合計は32となるが,統計には加えなかった。
・燈籠・唐獅子・狐など本来は対(つい)で数えるものも1基ずつ造立された場合が多いため基数で示した。
・参考の「社寺」は江戸時代建造の建築物を取り上げたが,詳しくは本書下巻末の「社寺一覧」を参照されたい。
・板碑の上欄と下欄と合計が違うのは,14世紀以前の板碑29基が上欄には入っていないためである。

 なお板碑については中世第三節のその項を見ていただきたい。また、参考のため江戸時代の建造で現存する社寺建築についても年度の明らかなものを付記した。その詳細は本書下巻末の「社寺一覧」に記してある。本三倉の西徳寺山門、千田の境の宮など外観や形式から年代の古さが想像されるものがあるが、棟札を未調査なため表には入れていない。
 第24・25表は同じ対象物の地域的傾向や特性を見るために、地域ごとにその数を示したもので、明治を境にして第24表は中近世、第25表は現代に分けてある。第25表では全く該当するもののない九項目はその欄を省略した。また第24表の句碑は第25表では句歌碑となっており、現代には唐獅子のほかに狐が入っている。
第24表 石造物・金工品の地域別基数(中・近世)
   種
   目


地域
地蔵鬼子母神如意輪観音馬頭観音不動尊出羽三山塔真言塔題目塔板碑宝篋印塔回国供養塔梵半鐘鰐口庚申塔太子塔道祖神石宮鳥居唐獅子石段(神社)手洗燈籠道標顕彰碑句碑
多古 1 442 114101134137
 411118
水戸 1212413115
(石成) 
千田 2114
 2215
  
五反田 22
東佐野 11114
佐野 0
東台 2114
大原 123
  
井野 111137
染井 11211118
飯笹 21231113225
間倉 22342114
一鍬田21231111719
  
船越21432311512111129
牛尾14113221111119
次浦32511431811241
西古内2111141422221
御所台 42118
  
寺作11111128
井戸山12121211122420
高津原1211211315111223
大門 311321112
桧木111126113
  
出沼2411125117
本三倉1211212101324
谷三倉 227214171128
十余三 0
(御料地) 
川島 12122122821
東松崎 1421211310156239
(宮本) 
 3116315121
方田 41128
南玉造121191116363128147
(柏熊) 
南中 523322251121157
北中 714112923746
南和田 11125
南借当 211116
南並木 1111214112
(中村新田) 
合計132242611215768114181454855131327378220129680

第25表 石造物・金工品の地域別基数(現代)
       種
       目


地域
如意輪観音馬頭観音真言塔題目塔鰐口庚申塔太子塔道祖神石宮鳥居唐獅子石段(神社)手洗燈籠道標顕彰碑句歌碑
多古 32 142 11519
 122139
水戸(石成) 3159
千田 11
 112
   
五反田 112
東佐野 1124
佐野 11
東台 33
大原 11
  
井野 0
染井 1113
飯笹 311111210
間倉 211116
一鍬田 1113
  
船越 11231234118
牛尾1114121314
次浦116212114
西古内 12126
御所台 0
  
寺作 112
井戸山21115
高津原 2311310
大門 1211112312
桧木 1124
  
出沼1225
本三倉 1113511
谷三倉 31211210
十余三(御料地) 12222413
  
川島 1146
東松崎(宮本) 11113714
 113152114
  (歌碑)
方田 2241224118
南玉造(柏熊) 2121411113310131
  
南中 121311135119
北中 111123211
南和田 0
南借当 0
南並木(中村新田) 111148
合計5182101231151111539353719833318

 本項では信仰内容、ことにその民俗の内容については全く触れないが、表に取り上げた種目について、若干その説明をしておきたい。
 鬼子母神は日蓮宗の信仰地域で特に信仰され、子安観音とも呼ばれる如意輪観音は真言宗の地域での信仰が厚い。ともに安産と母子の健康を願う子安信仰の対象となってきた。ほかにも子安神(木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと))など村々の子安講の婦人によって祀られている。馬頭観音は耕馬・運送馬を使役する農民・運送業者にょって馬の爪切り場や路傍に建てられた。不動明王は宗派に関係なく特に関東では広く信仰されている。出羽三山塔は羽黒山・月山・湯殿山と記した修験道の山岳信仰である。真言塔は十万遍唱えて罪業消滅を願う陀羅尼や短い真言を刻んだり、種子(しゅうじ)(梵字)を刻んだもの、あるいは「南無大師遍照金剛」と弘法大師の金剛名号を記したもので、大師十善講が旧久賀村地区や飯笹・喜多方面で盛んである。題目塔は「南無妙法蓮華経」と刻んだもので、字の先が光明を放つように細く伸びているひげ題目もある。回国供養塔は西国四国坂東など霊場巡礼を無事果たした講中の人たちによって建てられ、報恩のため道しるべをも兼ね記している。太子塔は聖徳太子を信仰する諸職人の太子講で祀ったもの。石宮は稲荷・妙見などその祀る神々は多種にわたり、分類すれば信心の傾向がわかるが煩を避けて一括した。顕彰碑は江戸時代は寺小屋師匠への報恩のものが多い。句歌碑のうち歌碑は現代に一基のみである。道祖神は当地方では道陸(ろく)神とも呼んでいる。

如意輪観音(西古内)


馬頭観音(井戸山)


南玉造柏熊の道祖神

 個々の金石造物については、地域史編の各章にその主なものは取り上げられているので参照されたい。
 前述のようにこの項では紀年銘のあるものだけ約一千点を取り上げたのであるが、紀年銘のないものを含めると、その数は数割かた増えると思われる。このほかに報恩のために建てた墓碑や、墓碑に辞世句を刻んだものなどもある。これらのほとんどは近世に造立・設置されたものであって、近世の多古町域住民の精神的活動が産み出した遺産である。
 近世の仏教寺院は寺檀制度によって栄え、国民はすべて仏教徒であることを強制されたのであるが、人々の宗教的自覚はかえって寺院中心の仏教よりも、地域的な在家中心の仏教に広がっている。本項で主に取り上げた信仰対象としての石造物はそのことを十分に証明しているように思われる。また寺子屋師匠への報恩碑がなかったならば民間の教育活動はその多くが現在に伝わらなかったに違いない。
 近代日本の発展は近世社会に蓄積され、準備された基礎の上に実現されたものであった。制度的には閉ざされた社会の中にあって、常にその枠を下から突き破りつつ、人々は地域の経済・文化を発展させ、豊かな社会的、精神的蓄積を行ってきたのであった。残された金石造物の背後にある歴史の動きを見つめることで、その物自体の意味も理解できるのではなかろうか。