多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

通史編

第二章 古代

序説

 ここにいう「古代」とは、日本に統一国家が成立する時期から、十二世紀に鎌倉に武家政権が成立するまでの時期をさしている。
 中国の文献によれば、三世紀ごろの西日本に邪馬台国(やまたいこく)という地域的統一国家があり、それ以前一、二世紀ごろには多数の小国家が分立しており、奴隷一〇六人が中国へ献じられることもあったという。これによれば一世紀にはすでに階級社会が発生していたことになる。そして、大和朝廷が成立し西日本を統一する時期は、三世紀後半から四世紀前半ごろと考えられている。
 大和朝廷の政治組織は氏(うじ)という組織を基礎とする氏姓(しせい)制度によっていた。氏は血縁的な同族集団で、有力な家族が族長の地位を占め、氏の長は代表として朝廷に出仕し、国政に参与した。しかし地方の弱小豪族や、農民の同族集団は氏と呼ばれなかったように、氏は特権的な集団であった。氏には部民(べのたみ)や奴婢(ぬひ)が隷属しており、天皇・皇族は子代(こしろ)・名代(なしろ)と呼ぶ私有民を持っていた。姓(かばね)は氏の長に対する尊称で、天皇はそれを授けたり取り上げる権力を持っていた。このような姓を持つ氏によって大和朝廷の政治は運営されていた。
 一方、地方の政治は各地に国造(くにのみやつこ)が置かれ、これには中央から派遣されたり地方の豪族が任命された。国造は世襲で、同族集団を率いてその地域を統治した。