東金市/東金市デジタル歴史館

解説

第Ⅱ章 古文書の世界

江戸時代の史料

植松是勝について

 植松是勝(1790~1862)は、寛政二年(1790)山邊郡真亀村(九十九里町)の中村覚左衛門の三男に生まれ、幼名を勝次郎、晩年は英三郎と称し、是勝は本名である。彼は東金の宿村に居る植松利右衛門の娘ミヨと結婚し植松姓を名乗る。文化八年(1811)に『豁術(かつじゅつ)発明序』を著し、文政三年(1820)に関流※七世宗統植松是勝著『角術新撰』を出版した。彼はその壮年期から晩年までの約40年間、故郷宿村の自宅に塾を開き、近隣の子弟を集め関流和算を教授し、地域文化の高揚・教育の普及に大きく貢献した。文久二年(1862)四月十三日宿村で没する。享年74歳。(『東金市史 総集編五』より)
 是勝が用いた数学書は、塾閉鎖後に散逸、80余冊を残すのみとなる。しかしながら、子孫の植松家がこれを大事に保管されたため、貴重な文化財の保存継承となった(現在は東金市保管)。
 なお、東京都台東区の浅草寺境内に、安政五年(1868)門人たちによって「五瀬(いつせ)植松是勝先生明数(めいすう)碑」が建立された(「五瀬」という号は和算の師匠の本姓をもらったという)。
 
※関流:和算の流派。関孝和を祖とする。関は18世紀前後の江戸時代の和算家(数学者)。