東金市/東金市デジタル歴史館

解説

第Ⅱ章 古文書の世界

江戸時代の史料

 この祭礼の始まりについては、雄蛇ヶ池の水論(争い)の後、寛文三年(1663)から6月15日を祭日と定めたといわれており、最近の研究では当時の大奥に居た近江局が東金に深く関与した人物として注目されている。近江は家光から東金御殿を拝領(1650年頃)され、また将軍家が信仰する山王祭(隔年)にあわせて、東金の日吉神社大祭を創ったとも考えられている。
 この祭礼は、最福寺、大林(だいりん)寺の僧侶の指揮で行われたが、実際は大豆谷の人たちが中心となり、他村の人を協力者として運営した。大林寺(当初)の神倉から神輿を出し、山王宮へ向かい、御霊移しを行って大豆谷村の御旅所(現在の厳島神社)へ向かう。各区(九ヶ村:台方・大豆谷・堀上・押堀・川場の各村と東金の上宿・新宿・谷・岩崎を加えた九区)の山車・屋台も参集して一夜を過ごす。その後、行列を組み、その行程は大豆谷の旅所から台方を経て東金御殿前の表門、上宿―谷―岩崎―新宿、堀上―川場―押堀(下三ヶ村)へ巡行する。山車は岩崎(人形 神武天皇)、新宿(神功皇后)、押堀(牛若丸)で、屋台はそれ以外の区と押堀で7台、合計10台が練り回る。祭典の終わりは、押堀の御旅所で儀式を行い、巡行の隊形が解かれる。そして山車・屋台は各区に帰り、神輿は神社へ帰還し、御神体は本殿に遷されるのである(詳細は『東金市史 総集編五』の「日吉神社の祭礼」494頁を参照)。
 

►大林寺 山号山王山で台方字大作に所在していたが、現在は廃寺。この寺の社僧が山王宮祭礼等を執行していた。明治の神仏分離政策により本寺の神輿堂は廃止され、日吉神社に移された。神輿堂は境内にあるが現在は使われていない。最福寺の末寺。


►山王宮(日吉神社) 社伝によれば、鴇ヶ峰に近江の日吉神社(別称山王)を勧請し、山王権現と称した。その後、14世紀末に今の大豆谷字大宮台に遷ったという。


►西福寺(最福寺) 山号安国山。戦国期に天台宗から顕本法華宗に改宗し、天正年間に最福寺から西福寺に改称したという。戦後、最福寺に戻る。天正十九年(1591)、徳川家康から寺領三0石が寄進され、最盛期には末寺三十二を有していたという。日蓮宗系妙満寺派の有力寺院であった。


►大豆谷(まめざく)村  村高二七五石余 旗本二給(寛政五年「上総国石高帳」より以下同様)。山王宮がある「宮本」


►台方(だいかた)村   村高一四七〇石余 四給。有原家は旗本松平家知行所の組頭。前島家は旗本河野知行所の組頭。


►辺田方(へたかた)村  (東金町)村高七七六石余。福島藩板倉家分領。元は上宿・岩崎(旧侍屋敷地)と新宿(商人地)に分かれる。


►川場(かわば)  三四六石余。旗本大久保知行所。


►押堀(おしほり)  四二二石余。旗本大久保知行所。



日吉大祭(新宿屋台)

 
「山王宮御祭礼定法相極帳」解読文
  (表紙)
           大豆谷村
    戊享保十三年 台方村
           辺田方村
   山王宮御祭礼定法相極帳
           堀上村
    申六月吉日  川場村
           押堀村

  山王宮祭礼定法之覚
一祭礼之儀先規之通隔年相勤可申事
一六月十五日御輿江御神体御移シ申儀
 西福寺より出家中御出、大林寺御一行ニ而
 御祈禱可被成候、大豆谷村ゟ茂御祈禱
まへニ御旅家迄為御迎之罷出、立合
 可申候事
一西福寺院主衆之中御両人大豆谷村
 御旅家迄御見送り、彼処ニ而御祈禱相
 済申候ハヽ御帰り可被成候
一村々御旅家ニ而村限り寺々御出候而、御
 祈禱御勤可被成候事
一祭礼之刻賽銭之儀、大豆谷村名主・
 台方村名主立合相改、有銭之内ニて
一銭百文  大林寺馬口取日雇代
一金壱分  大林寺祭礼用ニ遣可申候
  相残り三ツ割
一御初穂          壱割
一西福寺          壱割
一大林寺          壱割
右之通ニ相定申候、御初穂之儀大豆谷村二て
 預り置申筈ニ御座候、金高ニ罷成申候ハヽ段々
 六ヶ村内ニ而苦労仕筈ニ申合候、御本社御
 修覆之時分相談之上遣可申候
一山王社地立木むさと伐申間敷候、社用
 有之候ハヽ地元大豆谷村江聞合、勿論
 五ヶ村江茂聞合伐可申候事
右之通我々相談之上相究申候間、
村々共ニ相守可申候、右帳面壱冊西福寺江
相渡申候、大林寺江茂壱冊相渡申候、
御両寺ともニ紛失無之様ニ可被致候、尤
六ヶ村江も右帳面壱冊宛写置申候、
為後日六ヶ村連印仍而如件
 
  享保十三年
   戊申六月二日
 
       (以下、差出人・宛名など省略)
 
    (有原家文書、原本は千葉県文書館蔵)
 
(大意)
山王宮祭礼の進行方法(手順書)と祭礼の経費を定めている。また山王社地の立木をむやみに伐らないこと。各村々相談の上取り決め、その内容を記した帳面をそれぞれに持ち守ること。