東金市/東金市デジタル歴史館

解説

第Ⅱ章 古文書の世界

江戸時代の史料

近江局(おうみのつぼね)(1604年~1670年)
►出自と「福」の時代

福(近江局)は摂津の能勢頼次(よりつぎ)を父に、五男三女の三女として誕生。二度の結婚をし、一男二女をもうけるが、離婚・死別と不幸が重なる。


►家系

父頼次は、大阪能勢町において「能勢法華」(日蓮宗)という集団を形成。 明智光秀が起こした「本能寺の変」に参加した武将の中に、能勢を名乗った者がいたことから、頼次の能勢一族は領地を召し取られ、苦難の日々を送った。しかしながら、頼次らはこの変に参加しておらず、この武将は織田信長に命を奪われた者の仇討ちであったそうである。
その後、頼次は家康の家臣となり、慶長五年(1600年)の関が原の戦いで活躍、能勢村の旧領地を安堵された。


►大奥の時代

1641年(寛永十八)、三代将軍家光の側室お玉の方が五代将軍 綱吉を出産したことから、急遽、乳母として大奥へ上がる。その二年後、春日局が死去したため、大奥を仕切る。家光・家綱・綱吉に仕える。


►東金との関連(現段階)

・慶安三年ごろ(1650年)、家光より東金御殿を拝領され、後に現在の大網白里市小西の正法寺(当時、檀林)へ移築を進言。
・近江局が六十歳の時(寛文三年 1663)、将軍家が信仰する山王祭(隔年)にあわせて東金の日吉神社大祭が創られる。
・最福寺にて、家光の十三回忌(寛文三)、お楽の方の十三回忌(寛文四)、家康の五十回忌(寛文五)の法要を行ったという。