東金市/東金市デジタル歴史館

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解読文

真忠組新史料

 文久四子年春之内ニ写貰申候
 真忠組一件ニ御座候

雲を払ふの木も寸苗の裡(うち)(程)より生して、天搏(てんうつ)の波も一滴の水ゟなると
宜(むべ)なる哉、二葉の中に刈すんハ斧を用るの古語恐るへし、爰(ここ)に
両総の中に徘徊なす浪人に三浦帯刀有国と言る者あり、
其むかし承久の名族三浦家之※庶流なりと唱、頃ハ文久の          ※分家の系統
三年霜月はしめて奢※を企ける、或時下総の国八日市場ニ          ※「たかぶる」の意
立越江里人に(仁)諭すやふ、当時皇国の民、諸品の高値に苦しミ、
困民凍餓の難に逢、百姓塗炭(とたん)※の基、醸すに至らん事も説示し        ※「苦しみ」の意
鎖港之攘夷の為メ有志の者をかたらゐ、義兵を挙んと軍勢
催促に及ふといへども、公朝の掟厳重なるか故に、是に応するもの
なし、此時上総武射郡井の内の濱といふ処に住居する楠音次郎正光
といふ浪人有、是も元弘建武の忠臣楠氏末統なりと云ふらし
けるか、同気相求るのならゐ、三浦と心を合せ郷(四カ)民之差別なく
同志の者を招けるに楠ハ日頃人和を得たる者成ハ、追々知己の
輩文字の国友なと党に組する輩ありけるほとに、是ゟ公朝の浪人
真忠組の義士と相唱へ、矢さしか浦小関新開の濱に舘補理(しつらい)※、夷船      ※造ること
近よらは打払んと世間の人におも者(は)せ、近郷富有の者江支度金与
唱へ、金銀米穀又ハ弓鉄鉋(炮)長刀鎗釼(つるぎ)に至まて都而(すべて)武器の類ハ
攘夷用と申無用捨(ようしゃなく)奪取、重代相伝の刀釼(けん)家々に潜メ置候品まて
聞つたへ不残取よせ日々月々に人数相集候程に此処計りにてハ上策
に非(あらず)とて要害の地を求けるに、先下総の国にて八日市場に如しとて
同所福漸寺といふ大梵(だいぼん)※に屯をかまへ、人数五十余人兵器武具        ※大寺
十分に用意なし、大将ニ者桧(樋)山小四郎、副将ニハ山之内額太郎を
始とし栢田(かやだ)堀川平木米倉木積干潟の輩、地理案内之者共
楯ニこもる、又上総の国市原(長柄)郡茂原藻原寺ハ南総第一の
大伽藍難攻不落の要地なれハ、安房の国の押として人数七千
有余人、三浦帯刀大将として相随ふ輩ニハ千葉源四(次)郎大木八郎
大高泰助大山重助矢野十郎大鉄(ほう)小鉋山門に透間なく相配り、万一
打手向ハゝ境内おいて防戦いたし、若叶すんハ鷲の巣山に相莟(つぼ)ミ
七面堂に籠らんと用意なす、新開の館ハ起立草創の処成ハ
本陣と相定メ兵粮武具十分に整へ、茂原八日市場へ通し、楠正光
大将として沢田庄三郎宮嶋七郎井関喜十郎深田清シ市東
大九郎里見忠次郎斉藤市之助是等を宗徒の者として、国人
にハ片貝作田井之内本須賀松ケ谷、南ハ粟生真亀四天寄(木)
今泉不動堂観音堂、西ハ東金下之者共人数凡弐百余人、弓鉄鉋
武具調度沢山ニ貯へ、近郷隣国江相触、人数催促に及ふほとに、
日々夜るに連判加入するもの日々数十人、其結構夥敷(おびただしく)
なんとも計なし、又者愚昧の民商人公事訴訟を館江訴へ、其
沙汰ニ預り、非儀(議)之裁断受、専ら政事真忠組の決断に落、地頭
の申付も更に行れつ、実にや天慶のむかし王威を凌き、東海に
逆威を逞(たくま)し、猿嶌に内裏設けたる瀧口之小次郎相馬の将門
の所業にもおさ〱※1おとらぬ有さま也、此事の良民の愁訴(しゅうそ)※2追々江戸  ※1「おさ〱」=ほとんど
表江相聞え、領主地頭の注進敷浪打て櫛の歯を引か如し大樹御上格      全く(下に打消し)
折栖(柄)ヶ様之逆徒蜂起する事、天下の一大事也、捨置ハ慶安之正雪  ※2窮状を嘆き訴える。
にも超え、鎮西の嶋原天草の先蹤(さきじゅう)少なからす、さらは討手差向
へきとて先隣国の追討被 仰付、鎖国の面々に者最寄なれハとて
第壱番奥州信夫郡福嶌の城主板倉内膳正様、下総佐倉
城主堀田鴻之丞様、同国多古の城主松平豊後守様、上総一ノ宮
の城主加納※遠江守(備中守)、其外籏本知行与力給知の地役人まて出勢  ※加納久宜(ひさよし)
可致旨申渡さる、扨又(さてまた) 公邊よりハ御召捕方として、関東御取締
御出役馬場様御始、御同役四頭関八州の手先道案内三百余人
召連征伐可致旨ニて、明れハ文久の四年正月十七日暁天に上総の
国東金町にて勢を揃へ押出し、弓手(ゆんで)ハ名に逢ふ、東金新道
成戸(東)冨田山ニ馬手(めで)ハ大網本納の橘姫を遥に拝ミ、昔東夷の事無下に
ちかひつゝ東雲の横ふ雲の透間より昇る旭に打むかひ、小手
さしかさして見渡せハ、聞も矢指の畷(なわて)道(みち)北の幸谷の長田ン甫(ぼ)家徳を
過て薄嶌東風(こち)吹風に打靡(うちなびき)、剰(あまつさえ)宿御門も打越して片貝村ニ着にける、
去程に先陣板倉家の軍勢大炮小炮真先に進せ続て弓長柄の
足軽勇士の面々鎗長刀の得もの〱打携、吉例之御籏朝風に翻し、
先手既に打よせけれハ、後陣ハ馬場様渡辺様百余人ツヽ、真丸
に成て続たり、はや先炮者舘の表より大鉋トウト打出せハ、黒戸の
海の底にこたへ籠宮城も崩るゝかと疑れ、鉄鉋の連発に驚き
渚に通ふ百千鳥むら〱ばつと飛ちる有さまむかし富士川
白幡(旗)かと怪まれ、春の嵐の桜花ちるとも思れ見(けん)、其時舘の
方にても兼而用意の事なれハ同く鯨波(げいは)をあわせ、小筒
数千挺打出し寄手(よせて)も込替〱打程に暫時鉄鉋せり合と(止)ハ見へ
たりけり、此時板倉家の陣よりも何の某(それがし)と相なのり、一番ニ
切入たり、続てはやり雄の勇士切〆(きりこみ)(込)〱十往(縦横)無尽に薙(なぎ)立けり
後陣も舘の裏口より押よせ、前後より打入れ〱攻立れハ楠方
こらへ兼四度路(しどろ)に成て働得つ、寄手ハ十分に猛威まし喚叫(かんきょう)※て         ※喚叫:わめく
攻けれハ、舘方遂に敗軍に及ひ濱手さして敗走し四方八方に
散乱れ、されとも恥をしり、義を重する輩踏止りて戦けれとも
或者手負または(盤)炮玉の為に打れ働自由を得されは、奥の亭にて
殉死する輩楠已下十七人内し枕に討れける、後陣の勢者透間も
あらされ追打なし数多生捕、軍(いくさ)ハ是にてなりと皆々息を休め
ける、遉(さすが)に用意なしたる賊徒の舘忽ち一朝と露とき(幾)へ大廈(たいか)※       ※大きな家
一時に滅却する事、実に神武の 御威光普(あまね)く東海に
輝く所也、先十ニ分の勝利を得たる事なれは、揚(あげる)貝※を吹ならし        ※法螺貝のことか
芝居(地)にて討死の検分有、分栖(手柄)ノ次第相記し凱歌をつくり兵糧
つかひ行列を正し勇気凛々として東金さして引返ス、実にも
御先祖の御余光今に輝けるとそ見へにける、逆賊速に滅亡し
東海の浪静なれハ、大漁万祝の歓ひも近きうちに見る事
とてたのしむ也
      元旦の歌        楠音次郎正光
       (ママ)
飛わたる露の一声ひとこゑ静やかに、にく(ぬぐ)まぬものも
           にくまるゝ身を
    虚々実々不争功 真忠義士頗(すこぶる)儀(義)勇
    一夜忽驚千里耳 誠忠吹起太平風
              三浦帯刀有国
国のため民の為とて捨る身は、これそ日本の人の魂
ちりて行身はおしまぬそ、西国の夷(えびす)の首を見ぬそ
                        くやしき
     桜よりもなほ咲かけてちる身哉
 
 
(東金市台方前嶋家文書 千葉県文書館所蔵)