東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第一二篇 文化団体

(三) 東金文化団体協議会加盟諸団体

 この会は、昭和一一年(一九三六)七月一日、神奈川県鎌倉町小町四三〇に本部を置いて設立された。設立者は川島桂山氏(本名泰祐(たいすけ))である。豊成村堀之内(東金市堀之内)に生まれた川島氏は、昭和四年(一九二九)鎌倉町に住み、書道教授をしていたが、「現代に適応した書道の普及と兼ねて精神の修養に資せんが為」に書道普及会を設立したのである。氏のいう、「現代に適応した書道」とは、「大衆の使用しつつある楷・行・草・かなの四体と、漢字と仮名との調和した書道」ということであるとは、会誌「書道普及」(月刊)の創刊号に「発刊の辞」として述べているところである。
 設立当初三〇〇名の会員が書道に親しんだという。昭和一二年(一九三七)一一月、郷里堀之内二三一番地に帰り、会の事務所をここに置いて現在まで書道普及に努力されている。
 現在会員は約三五〇名であるが、設立以来今日までの総会員数は三、五〇〇名を数える。
 この会には、「支部規定」があり、会員五名以上をもって支部の設立を認めているが、「書道普及」創刊号には二九支部がのせられており、殆んどが神奈川県であるが、遠く岩手・樺太・新潟・東京・静岡にも各々一支部が設立されている。この「書道普及」は第八巻第五号をもって終るが、第七巻第二号には、支部総数一二六(内訳、神奈川六八・樺太一・静岡三・東京二四・台湾二・朝鮮八・千葉二・静岡三・新潟・福島・徳島各二・兵庫・広島・岡山・長崎・北海道・宮城・茨城)と分散している。)と日本各地に亘っている。会誌が第八巻第五号で終ったというのは、丁度第二次世界大戦の昭和一八年(一九四三)の五月に当たっていて、雑誌用紙の欠乏が理由であった。
 会員は、作品を郵送し添削指導をうけるのが本体であるが、会費は月額二、〇〇〇円、特別研究会員三、〇〇〇円となっている。
 年中行事としては、
○会員親睦総会(毎年一回……一~三月)
○段級試験(昭和五八年迄 年一回秋)
     (昭和五九年以降年二回、春秋)
○選抜書道展覧会(毎年一回 秋)
○その他全国有名展覧会に自主出品奨励
等である。
 昭和四六年(一九七一)一〇月、東金市文化団体協議会の設立にはいち早くこれに加盟し、同会発展のため尽力し今日に至っている。
 川島桂山氏は、明治三一年(一八九八)一一月一二日東金市堀之内に生れ、大正九年(一九二〇)書道研究に入る。大正一四年(一九二五)小野成鵞および神郡晩秋に師事し直接指導をうける。昭和三・四年(一九二八・九)戊辰書道会展に連続入選、昭和五年第八三回日本美術協会展に万葉長歌を出品し総裁高松宮より褒状を授与され、昭和七年同九年にも泰東書道院展において総裁東久邇宮より褒状を受ける。
 この研鑚のかたわら、個人書道教授、温知会師範等として書道の指導に当っていたが、昭和一一年(一九三六)七月、「書道普及会」を設立、「会誌書道普及」を発刊、この会誌は、「楷行草かな」の折込(半紙大)手本、書道論など新機軸の企画で好評をうる。一二年一一月郷里堀之内に帰る。
 昭和二七年(一九五二)より四五年(一九七〇)に至る間、芸術院会員豊海春海に師事し、日本書道院が昭和二七年に創立すると、その審査員となり、監事・理事又書道研究温知会理事、大阪吹田市日本書道教育研精会顧問等をへて昭和四六年(一九七一)温和会名誉理事となっている。
 なお、世界各地に日本美術を紹介する手助けを始め、芸術家文化人のチャリティ展に協力、「小倉百人一首(富士書房版、昭和五八年)」に作品掲載等書道普及に尽力されている。