東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第一二篇 文化団体

序説

 東金市は古来より文化の華の咲いたところといわれ、文人墨客の集って来たところである。
 俳諧では蕉風復興をめざした作田東睡(とうすい)(元禄元年(一六八八)-延享元年(一七五〇))勝田乙驢(元禄四年(一六九一)-宝暦一一年(一七六一))飯田雨林(元禄一四年(一七〇一)-天明元年(一七八一))杉坂百明(?-天明四年(一七八四)などがあり、昨非窓左明もまたこの地を尋ねて名句を残している。
 狂歌の鹿津辺真顔(しかつべのまがお)(宝暦二年(一七五二)-文政一二年(一八二九))も東金を訪れ「海見山の記」を残し、稲葉黙斎の広めた上総道学の道統は桜木闇(ぎん)斎(享保一〇年(一七二五)-文化元年(一八〇四))等に代表されて東金市に伝わっている。
 東金の人々が、他所から来る人々を喜んで迎え、いたわるという気風を持っていたのか、佐藤信淵(明和六年(一七六九)-嘉永三年(一八五〇))はここに潜居して家学を大成し、遠山雲如(文化七年(一八一〇)-文久三年(一八六三))、梁川星巌(寛政元年(一七八九)-安政五年(一八五八))らの来遊も市民のよく知るところである。
 数学者植松是勝(寛政二年(一七九〇)-文久二年(一八六二))を生み、「上総国誌」編纂の安川柳渓(文化二年(一八一九)-明治二九年(一八九六))を育て、農民歌人小幡重雄(明治三八年(一九〇三)-昭和四七年(一九七二))などを出しているが、日本画の川辺菊久(明治三一年(一八九八)-昭和五五年(一九八〇))などもその一人といえる。
 東金の近隣町村には短歌の伊藤左千夫(成東町)蕨真(山武町)篆刻の石井雙石(大網白里町)日本画の石井林嚮(大網白里町)文学の麻生磯次(山武町)などが輩出しており、東金市が古くから銚子方面へあるいはまた南房への交通路に当たって、しかも九十九里浜の中心部に位置するところから、尾崎紅葉・国木田独歩・徳富蘆花・夏目漱石・島崎藤村・野口雨情等が東遊の折ここに立ち寄り、上総の東金を世に紹介をしていることは世人のよく知るところである。
 近くは、北原白秋・今井白水・安倍季雄・白鳥省吾・中西悟堂の各氏も東金の地に足跡を残している。
 現在、本市における文化活動は極めて旺盛であり、短歌の森川邇朗、詩の鈴木勝、俳句の鵜沢玻美、洋画の斎藤良夫、書の川島桂山、音楽の大野桂、日本刺繍の斎藤馨を始めとし、枚挙にいとまない程の諸氏が積極的な活動を展開しているが、これらの人々に師事した人が、更に研修を深めて指導の立場に立って、その道の普及につとめている。
 なお、茶道・華道・押花・コーラス・映画等の諸活動も○○塾、××教室等を通して、自主的にその道を弘めつつある。
 また、社会教育の立場や、図書館・公民館活動の中で、こうした文化活動が計画されると、嘗ては青年団・婦人会等が之に協力し、現在では社会奉仕団体や、小中学校PTAや関連する諸団体が強力な協力を示し、市民は進んでこうした活動に参加しながら、自己の研修に努めている。
 昭和五九年現在における文化団体について歴史的経過をふまえながら、その概略を紹介することにするが、調査し得た団体を大きく分類して、
 1 文化団体協議会加盟の諸団体
 2 未加盟で力強い文化活動を展開している諸団体
 3 その他文化部を持ち、社会奉仕の中で、文化の向上に協力貢献している諸団体
とに分けて記述することにする。なお、こうした文化発表の場として、市では、昭和二八年度より毎年市の文化祭を開いているが、最近は文化展として十一月三日を含む数日盛大な催しを行なっている。