東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第一一篇 医療施設

一 病院

 広報東金第二号(昭和二八年九月一日)の第一面下方に、次のような記事が見える。
 

県立東金病院開院

   院長 久賀冬鯉

東金町の南西口に竣工した県立東金病院は、去る八月廿日から、内科・外科・産婦人科三科に亘り診療を開始いたしました。
 

 東金町の南西口とは、東金町台方一六五四番地であり、八月廿日とは、昭和二八年(一九五三)八月二〇日である。
 台方一六五四番地は、北に城山を負い、東は妙福寺境内に接し、南から西にかけて民家に囲まれた地籍で、極めて狭隘(きょいあい)の地である。特に北側の城山は直立した一〇メートル程の崖であった。
 当時、県の医療施設建設計画を受けて、東金町がその設置に踏み切ったものの、田間地先と台方地先の二か所が建設候補地としてのぼり、町を二分する程の誘致合戦があったと言われているが、結局は、この台方地先に決定したという。
 しかし、建設用地面積に適正さを欠き、わずかに、内科・外科および産婦人科の三診療科目を設置したに過ぎない。
 一〇年程たって整形外科、その後泌尿器科等がふえたという。
 当初は結核病棟があり、救急指定病院でもあった。
 院長は、久賀冬鯉で、ベッド数は約八〇床に過ぎなかった。
 それでも、県立病院が建設されたということで、患者は東金町民だけでなく、山武郡・長生郡等々より診療を受けに来るものが多く、そのため、九十九里バスも、「東金病院行き」を運行し、患者の便を図ったものである。
 なお、東金に、県立病院が建設されたことは、やがて成東町に「国保成東病院」が建設されることに深い関連があったといわれている。
 幾多の経緯をへてできたこの東金病院も、外来患者の増加や、入院患者の増加にこたえて、敷地を拡張したり、病院を建設したりすることは、用地面積の上からは勿論、将来展望に立つ時不可能であった。
 病院の拡張は、病院の移転以外にはなく、関係者は、その移転候補地探しに努力した。

旧東金病院


現在の東金病院

 こうして、十数年の年月を経て、昭和四三年(一九七八)現在地を決定し、新築移転ということになったのである。
(現在の県立東金病院)
○所在地  東金市台方一二二九番地
○診療科目 内科・外科・小児科・整形外科・産婦人科・皮膚科・泌尿器科・麻酔科・神経内科(前は脳外科)・放射線科・呼吸器科・循環器科・消化器科・理学診療科
○院長   大久保恵司
○副院長  小林康弘
○ベッド数 一九五
○概略
 昭和四四年(一九六九)六月一七日、落成祝賀の式典があげられ、本格的に活動を開始したのは七月一日である。
 新病院は、国道一二八号線と東金バイパス(国道一二六号バイパス)の交叉点南側の田を埋立地に建設された。
 移転前の診療三科目は、一躍一三科目となり、総合病院の名にふさわしい充実振りを示した。
 結核病棟はなくなったので関係患者は鶴舞病院に依託したという。
 その後、昭和四六年(一九七一)、千葉県赤十字血液センター出張所を置き、疾病の多様化と交通事故の激増による輸血用血液の需要にこたえて、献血者の便宜をはかるようになった。
 このことについても、「広報とうがね第二〇一号(昭和四六年三月一五日)」に、
 「あなたの血液が人の命を守ります!
  血液センター出張所開設さる。」
 
 とのタイトルで、市民に報道されている。
 昭和五三年(一九七八)、整形外科の充実のため更に病棟一棟を建設し、地区民の治療要求にこたえ、ベッド数を一九五床設置するに至った。
 小湊バスは、「東金病院行き」のバスを増発し、外来患者の便を図っている。
 現在一日平均三三〇人の外来患者があり、総合病院として地区医療の中心的地位をもっているが、全診療科目の医師が、常時病院に勤務するということはない。(特に夜間においては当直医制のため)住民福祉の医療行政の上から、今後の問題点の一つといえよう。