東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第七篇 民話・伝説

B 伝説

 大豆谷村(東金市大豆谷)の木村久右衛門という人の家に佐藤信淵という人が来ていた。
 この住藤信淵は秋田県の貧乏な医者の家に生まれたが、彼が生まれた時、この医者の屋根に火柱が高くあがって人々をおどろかせたといわれている。
 その信淵が大豆谷(まめざく)にいる頃、近所に蛇の沢山いる家があった。家というよりは、小屋といった方がよいかもしれない。というのは、そこには人が住むというより、米や麦や豆等をしまっておいたからだ。
 誰一人として、この家によりつかず、しまってある米麦などさえも取りに行くことをみんなこわがっていた。
 このことを聞いた信淵は、「そんなに蛇がいるのか、よしわたしが行って。」と、みんながとめるのも聞かず、ふとんや鍋釜などをもってそこに移り住んでしまった。
 そして、蛇を見つけると、それをとって、食べてしまったという。
 だから、いつの間にか、蛇は一匹もいなくなってしまったといわれている。
 佐藤信淵は、秋田県雄勝(おかち)郡西馬音(にしもない)町に生まれた。明和六年(一七六九)六月一五日の午前一〇時といわれている。
 この信淵の大豆谷滞在は史実として伝えられているが、彼に対する批判は必ずしも長所だけでなく、彼は大風呂敷だの誇張家だのとの声も多い。
 彼の家系は、信利(のぶとし)-信栄(のぶまさ)-信景(のぶかげ)-信季(のぶすえ)-信淵(のぶひろ)となっており、五代に亘(わた)って農業・経済等に関する家学研究に精進したといわれている。
 すなわち、初代信利は「国土経緯論」をあらわし、二代信栄は「気候審験録」を、三代信景は「土性弁(どしょうべん)」を著し、四代信季は「堤防溝洫志(こうきょくし)」をまとめている。信淵の学は広範囲であり、政治経済はもとより、軍事産業文化の面まで、その著述はあまりにも多い。そしてその多くが、この大豆谷の地で書かれているという。
 大豆谷のたんぼの一角に、「佐藤信淵先生家学大成の地」という標が見られる。

佐藤信淵家学大成の地(大豆谷)