東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第七篇 民話・伝説

B 伝説

 平将門の父は良将といった。良将(よしまさ)の妻に、桔梗(ききょう)の前という方があったが、懐妊した時、その当時の習慣に従って、うらない師に占ってもらったところ、
「生まれる子は、恐るべき反逆児になるであろう。」
 ということだった。そこで良将は、兄の国香という人に相談したところ、
「そんな反逆児が生まれたら大変だ。母親もろとも、かわいそうだけど仕方がない。水に流してしまえ。」
 と言う。良将は仕方なく、一そうの舟に乗せて、「桔梗の前」を海に流してしまった。
 「桔梗の前」に仕えていた三平という者、この人は、本当に桔梗の前によく仕えた忠僕であった。この三平は、主人が海に流されたことを知って、これを助けようと海に飛び入り、舟におよぎついて、東国の海辺を数十日も漂流していたが、遂に九十九里浜の海保という所に着いた。海保は今の横芝町である。
 海保に着いた「桔梗の前」と三平は、土地の人に救われた。
 ある時、「桔梗の前」は三平をつれて、十文字川のほとりを歩いていたところ、急に産気づいて、元気な男の子を産み落した。
 三平は驚き、あわてて、川の上流に走り、そこにあった竹を切ってこれを束ね、川を留め、白い布で川水をこして、嬰児を洗おうとしていると、そこへ七郎兵衛という漁師が通りかかって、着ていた袖なしをぬいでこの子を包み、母子をともなって自分の家につれて行き、いろいろ世話をしてやったという。
 この十文字川を「ぬのどめ川」といい、「桔梗の前」を助けた七郎兵衛には、後に「布留川(ふるかわ)」という姓が与えられ、お産をしたところにあった橋を「産前橋(さんまえばし)」とよぶようになったというが、今では三枚橋と書いている。
 また、いまでもこの地方では、出産児の産衣に「袖なし」を用いているという。
 この伝説は、東金市御門(みかど)にある妙善寺(日蓮宗)の「妙善寺由来記」によったものであるが、将門伝説はこの他にも多少変ったものが伝えられている。
 同じ東金市関内の水神社の由緒を書いた「水神社明鑑」にある将門伝説は次のように記されている。
「平朝臣将門ノ上総介ニ補任セラルルヤ、御門村ニ別館ヲ置キ、妻女ノ居所トナセリ。時ニ妻ノ妊娠トナリシカバ、安産ノ乳汁ヲ本社へ祈願シ、幸ヒニ平産ナリシガ、当児ノ将来ヲ祈リ、且ツ初湯ヲ行フニ何処ガ宜シキヤ、是レ又神ニ祷(いの)リ、御託宜ニ従ヒ、同村ヨリ竹ノ葉ヲ以テ十文字ニナシ、川ニ流シタルニ、中野村産前橋ニテ止リタレバ、同所ヲ称シテ産前橋トナシ、同所ヨリ水ヲ取リタリ、ト」(「東金市史・史料篇二」一〇九七)
 
 これらの伝説について、柴田武雄氏は、
 
1 平高望が武射郡に本拠をおいたという武射郡本拠説
2 桔梗の前は将門の母か、将門の妾か
3 妙善寺由来記に将門の誕生地・死亡地がこの地であるという説
 
等々について疑問をなげかけている。