東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第七篇 民話・伝説

B 伝説

 どこの神社も霊験あらたかなりとして種々のいい伝えが後世に残されているが、この水神社には数多くの御利益の話があって、
「当神社ノ御利益ヲ蒙リタルモノヲ悉ク記載センカ、人名ニテモ数万枚ノ多数ニ達スルヤモ知レザルモ、又以テ繁雑ニ流レ読者ヲシテ倦怠(けんたい)ヲ来スヲ虞(おそ)レ、只万分ノ一ノ多少異リタルモノノミ揚(あ)グ」
 として数多くを世に紹介している。以下その一、二をのべよう。
 
○この水神社は大和の貴船大明神の分霊であるが、「われは上総国山辺郡関内村に移転し、御利益を授けたし。」と三夜連続の夢を見た人があった。そこでその人は、関内村(東金市関内)に尋ねて来て、村役人にこの話をしたところ、「そういう神の御心ならば」と御神体をいただき、捧持して関内村に帰ろうとした。その帰り道、山奥に差しかかった時大勢の山賊が出て来て、殆んど途方にくれ生きた心地もなかった。ただただ一同は神に祈るだけだった。
 ところが、四方から急に火が起こり、その火勢盛んに賊共の方にむかった。賊共は手を焼かれ、足をいためて、一人として負傷しなかったものはなく、何物もとることが出来ずに逃げ去ったという。
 しかし、賊が去ったあとには火の気は全くなく元通りの山中であったので一同は「不思議なことだ。」と話しあい、旅をつづけた。
 途中、一人足を痛めて夜もろくろく寝ることも出来なかったが、この時も御神体におすがりしたところ、朝方になって、何処からとなく白蛇があらわれて、その痛む所をなめまわした夢を見た。不思議に思って起き出したが、足の痛みはとれて、旅をつづけることが出来たという。
 こうして、御神体は関内村に無事おまつりされたという。
 
○神奈川村(神奈川県)に、峯右衛門という人がいた。代々旅館経営者であり、名主などつとめて、地方切っての大富豪であった。
 たまたま成東の村太郎という人が旅に出てここにとまった時、丁度峯右衛門の奥さんが妊娠していて、大儀そうな様子を見せていた。
 村太郎は、この主人と話し合った時、主人峯右衛門の言うには、「あんなに大儀そうにしていて本当にかわいそうだ。実は妻はお産毎に苦しみ、今まで三回も妊娠したのに一回も平産したことなく、苦しみのあげく生んだ子も早死にして、子供がないのです。今回もまたそう思うと……。」
 となげくのであった。そこで村太郎は、関内の神社の御利益あることを話したら、
「早速参拝し、祈願したい。」
ということで、翌朝神奈川を出て千葉へ一泊、その千葉の宿屋の主人も参詣したいとのことで、二人して関内村に来て、供え物などして参詣、峯右衛門は成東に宿をとって三日間神社に通って祈願し、神奈川村に帰ったという。
 ところが、今回は妻のお産も軽く、しかも男子出生、母子共に健全であったので、夫婦子供づれで再度参詣、死するまで毎年一回の参詣に来られたという。
○康正年中(一四五五~一四五六)後花園天皇の御代のことである。関東管領上杉氏の家臣大田資長という人が領内を巡視の折、当神社に参詣しようとして、武射田という所まで来た時、一羽の鶴の飛ぶのを見て、弓に矢をつがえて、その飛ぶ鶴を射たところ、見事射止めることが出来、その鶴を追いかけたところ、この神社の前に落ちていたので、
 「武運長久の祈願に来て、大いに幸いあり。」
として、一夜参籠して神に祈り、翌日は村民一同を集めてご馳走して帰ったという。
 鶴を発見したところを「鶴舞」と名付け、鶴の落ちていた所を「下落」と名づけたが、この地名は小字として今も残されているという。