東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第六篇 文化財・金石文

A 文化財

一 有形文化財

 松之郷字本郷に本松寺がある。この寺は、「上総町村誌下巻」によれば、松岸山本松寺といい、日蓮宗妙満寺派に属する。明応元年(一四九二)壬子(みずのえね)四月、僧日哲という僧が創建したもので、後慶安二年(一六四九)徳川家光は寺領として一一石を寄せている。
 境内四千八百余坪(一五八四〇平方メートル)顕本法華宗上総十か寺の一つになっている。
 山門を入ると、正面に本堂があり、その右に住職の家や庭園を見、左側一体の墓地で参道は約一五〇メートル位であろうか。
 本堂の前は、一際広くなっている。その一角、本堂に向かって右手に鐘楼がある。この鐘楼は、下層に袴腰(はかまごし)と呼ぶのだろうか、やや斜めに壁板を張った台形に造ってあり、二階建ての鐘楼で、この附近では珍らしい建築様式と言える。
 鐘楼の形式は、一般的にいって、
○古代……二階建てのたかどの、屋根は切妻造り。
○中世……下層に袴腰と呼ぶ斜めの壁を張った台形、屋根は入母屋(いりもや)造り。あるいは、巨大な鐘をつるすために平屋建て。
○近世……四本柱を高い石垣造りの台の上に建て、周囲を吹抜けにしたもの。その後平地に四本柱を建てたもの、屋根は、切妻造りか入母屋造り。
と時代的変化を持っているという。
 寺の創建が明応元年といえば、足利幕府十代将軍足利義稙の時代で、各地に袴腰の鐘楼が建てられていたわけだが、鐘楼の建立は、本寺の資料「過去帳縁起(寛永三年起筆)によれば、享保二年(一七一七)一二月のことで、近年、銅板瓦棒に葺きかえられ、小屋組の一部が改修されたが、主要な構造とその部材は、創建時のものと認められるという。なお、本鐘楼の東金市文化財指定の「指定理由書」には左のごとく記載されている。
 「鐘楼は本堂に向かって右側の手まえに位置し、ほぼ南面して建ち、入母屋造り、銅板瓦棒葺き、袴腰つきの鐘楼で、基壇より棟上までの高さは九・〇八mである。基壇は御影石の二段積みとし、桁行(けたゆき)方向は七・九六m、梁間方向は六・八七m、高さは〇・六五mである。元来この形式の鐘楼は、楼造りにその基本型があるわけで、下層の周囲に傾斜した板囲い即ち袴腰の化粧をつけたもので、日本の鐘楼建築としては、伝統的架構の一形式である。本県では、八日市場市の飯高寺や柏市の布施弁天をはじめ、江戸時代のものは県下に少数ながら残存してはいるが、そうした梵鐘楼建築の中でも比較的秀れた架構の一棟であると思料される。」
 

本松寺鐘楼