東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第四篇 交通・水利

A 交通

(一) 街道

東金市内旧道路、いわゆる東金古道について、郷土史研究家醍醐守氏は次のようにいう。
 
「古道が明瞭に町道として残されているのは、(ア)カネハン裏から白打の山のふもとを渡辺英胤氏宅裏まで(イ)千葉地方法務局東金出張所から、南へ上行寺の下を通り内玉を東金幼稚園下の屈曲点まで(ウ)岩崎菅原神社下より八鶴湖への道路(エ)八鶴館下(オ)妙福寺下の公園付近より南へ百数メートルの間であろう。そしてこれらを結ぶ間は殆んど住宅の境界線となっている。多分その境界に嘗(かつ)て道路があったものと推察される。」
 
 これは図の通りで、国道一二六号線とほぼ七~八〇メートルの間隔で平行し、山麓に近い点を結んでいる。途中不明な点があるが、そこに道路を予測することができる。

 

 以下古道の残像のない地点について考えたい。
 
△(ア)と(イ)の間
  法務局は醍醐・吉田・佐耆原氏の屋敷より地盤が高い。すなわち図の部分は土堤を形づくる。現在道祖神が立っておりこの空間に道路があったと考えられる。板倉武雄氏の屋敷はもと道路であったと考えてよいであろう。

 

△(イ)と(ウ)の間
  幼稚園の土手下を進むと階段の下にでる。ここで直進する道を斎藤氏宅にむかうと能勢氏宅につき当たる。能勢家のところで屈曲し、山ぞいを直進して、古作・鈴木家の境界を通れば、両総土地改良区のある台のがけ下となり(ウ)に直結する。えびすやの鈴木清氏が、「今は駐車場だが、ここはもと道路であって、土地改良区(もと産業会館)へ上る通路と交換したものだ。」と語っている。

 

△(ウ)と(エ)の間
 菅原神社下の細道をたどって八鶴湖へ通ずる道にでる。大野桂氏の屋敷が正面だが大野氏と喜良久の境界をたどると、宍倉・国井・在原・服部両家の境界がほぼ一直線で八鶴館下の(エ)につき当る。

 

△(エ)と(オ)の間
 (エ)は風戸写真館前の八鶴湖通りに出るが、更に長崎工業所と植村・中田両家の間に旧道を発見する。
 それから先は、十文字屋建材部の裏から伊勢孫本店、東金電報電話局を横切って火正神社の石段下に出る。あとは、住宅地と、御殿山の山裾をたどると、妙福寺前に出る。

 

△旧道の北部
  カネハン商店の裏から石渡・伊藤・丸田・土屋・勝田・古川といった人々の境界をたどって行くと明治屋酒店の裏へでる。
  これを更に境界線をたどると今井三郎氏宅などを通って一二六号線に近より、田間神社の北側よりで現在の道路と一緒になったのではないかと言う。
 
△旧道の南部
  もと県立病院前の道は、石崎義雄氏宅と山崎家の境界に出る。
  この境界線は、木村・水上家の境に連り有原一夫氏宅に当る。国道一二六号線は大きく湾曲しているのでだんだんこれに近づき、台方の旧道付近で旧国道と一体となったのではないかと考えられている。

旧道の北部(上)と南部(下)