東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第三篇 教育

C 学校

(三) 中学校

 東金中学校の歴史は、昭和二二年(一九四七)五月一〇日、学制改革にともなう新制中学校の発足とともに、かつての東金町・源村・丘山村・大和村・公平村・福岡村・正気村・豊成村に、それぞれ、町村立の八中学校が創立された。しかし、その後、大和中学校は昭和二三年(一九四八)四月に、組合立大山中学校(大網町・山辺村・瑞穂村・大和村の四町村で設立)に統合、源中学校は二五年(一九五〇)四月、組合立日源中学校(日向村・源村の二村で設置)として再出発した。そして、昭和二九年(一九五四)四月一〇日、町村合併による市制執行にともない、前記組合立中学校を除いて、東金市立東金中学校、同丘山中学校、同公平中学校、同豊成中学校、同正気中学校とそれぞれ改称した。同時に大網白里町・東金市の組合立福岡中学校を設立。なお大山中学校へ統合した大和地区生徒(福俵・山口・田中地区生徒)は昭和二七年(一九五二)東金中学校へ編入。日源中学校へ統合した源地区生徒は、一部を除き山武中学校(日源中、睦岡中の統合)へ編入、昭和四四年(一九六九)、東金第一中学校・東金第二中学校へ編入。(上布田・極楽寺・酒蔵・滝沢・三ケ尻の各地区)
 丘山中学校は昭和三一年(一九五六)四月、東金中学校に統合。
 更に昭和三六年(一九六一)四月一日、市内中学校の統廃合が実施され、三つの中学校に再編成される。すなわち、旧東金町・丘山地区・大和地区(田中・山口・福俵)および源地区(滝沢)を学区とする東金第一中学校。旧公平地区、豊成地区の一部(上武射田・下武射田・菱沼・二又・前之内・士農田・高島)、源地区の一部(上布田・極楽寺・酒蔵・三ケ尻)および田間地区を学区とする東金第二中学校。正気地区・福岡地区・豊成地区の一部(御門・高倉・東中・三浦名・関内・殿廻・中野・堀之内)を学区とする東金第三中学校の三校の設置である。そして、更に学校統合計画に従って、昭和四六年(一九七一)四月一日、東金市の一市一中学校制がとられ、右の三中学校は一校に統合せられ、東金市立東金中学校が発足することとなった。爾来一二年、その間を概括すると、市制執行を含めて、創立より三中学校編成までの一四年、三中学校時代の一〇年間、統合東金中学校としての一三年間(昭和五八年末現在)の三期に分けられよう。その歴史を整理する意味で、それぞれの時代の各学校名、歴代校長氏名を記録し、概要を付記する。
 
 (一) 新制中学校創立より学区再編成まで
◎東金中学校
 ○石田昇 ○小原義正 ○石井康幸
◎豊成中学校
 ○松戸常義 ○秋庭亮 ○村井誠衛
◎正気中学校
 ○中村常三 ○佐久間巌 ○土屋一夫 ○中村正
 ○水野豊 ○中村隆
◎公平中学校
 ○鎗田信三 ○佐藤貞雄 ○村井誠衛 ○井口邦夫
◎丘山中学校
 ○足立透雄 ○大木武治 ○小川義治
◎福岡中学校
 ○吉田雄二 ○糸日谷積 ○斎藤良泰
◎源中学校
 ○小野崎二郎
◎大和中学校
 ○戸田節
 新制中学校創設期は、いずれの中学校も小学校の敷地内に校舎の一部を借用して創設するという苦難にみちた悪条件下の出発を余儀なくされている。沿革誌の記録から一部を略記すると、
 ◎東金中学校 東金小学校舎一部借用学級数一七、生徒数六九八、職員数二八、昭和二二年(一九四七)八月PTA発足、同年一一月、台方七九番地へ移転する。
 ◎正気中学校 正気小の一部借用
  学級数五、生徒数一三二、職員数八、予算一九、〇二〇円
 ◎豊成中学校 小学校と同一棟を借用
  学級数五、生徒数二三三、職員数一〇、学校予算二五、六九〇円也
となっているが、他の中学校も、ほぼ同じ形態をとっている。前述の第一期を通じて、それぞれの学校は、校長をはじめ教職員が一丸となって、地域の〝おらが学校〟という意識に支えられ、地域の実情、生徒の実態に応じて、保護者ののぞみに応える特色ある経営の歩みを続け、すぐれた実績をあげている。
 
 (二) 学区再編成三中学校時代
◎第一中学校
 ○石井康幸 ○大久保正
◎第二中学校
 ○根本三郎 ○秋葉利一 ○石井吾郎
◎第三中学校
 ○中村隆 ○川島正作 ○四之宮薫 ○鈴木清
 昭和三六年(一九六一)四月一〇日、市制執行後の学区再編成により、右記のように三中学校が発足した。当初は、第三中学校のように、正気、福岡校舎に分かれての授業を余儀なくされたり、田間地区生徒の年度途中での第一中学校から第二中学校への移動などあったが、大きな混乱はなく、円滑に三中学校時代へと推移していった。
 第三中学校においては、職業教育の研究指定を受け、地域に即した教育のあり方を追求し、堅実な経営実績を挙げた。第三代四之宮薫校長の急逝という悲しい出来事もあったが、中村、川島、四之宮と歴代の校長のもと充実、発展の一途をたどった。第四代鈴木清校長は、永年にわたる指導行政での豊かな体験をいかし、生徒指導、道徳教育の充実、学習指導の質的向上への努力を傾注し、優れた経営実績をのこした。
 第二中学校にあっては、溢れるばかりの教育への情熱と子どもへの愛情を説く初代根本三郎校長の経営姿勢が、秋葉、石井歴代校長のそれぞれの独自性のなかにも継承され、二中教育として開花し、経営の実を挙げていった。
 第一中学校は、初代石井康幸校長のすばらしい経営によって大きな発展を遂げた。同校長は一中の前身東金町立東金中学校の第三代校長として昭和二五年(一九五〇)九月着任、初代石田昇、二代小原義正校長の築かれた礎石の上に、昭和四三年(一九六八)三月まで、実に一八年余の長きにわたって経営にあたった。その間、終始一貫した教育目標、経営方針を樹立し、その教育信条を貫いて経営に当たったのである。体力の向上、道徳力の涵養、学力の充実を柱に、「先生方は子どもにつけ」と教師へ呼びかけ、生徒の生活訓練に努力した。「子どもにつく」は、ひとりひとりの子どもを見つめ、教育実践にとりくむ個別指導に徹することである。一見平易なことながら教育の本質を鋭くつくものであった。このような指導は「有為な人材の育成をめざす調和のとれた学校経営」の主題により自主公開研究会を実施、優れた力量をもつ多くの教師を育て、ひいては、生徒の学力向上に大きく寄与した。当時、東金中学校はとびぬけた学力の充実が話題となり、生徒を前面に出す生徒会活動等にも特色があった。体育祭行事、元旦の九十九里浜への歩行の立志式など希望を与え、情操の陶冶にも役立ち、体育クラブ、体育大会の連続優勝など大きな成果をあげた。
 
 (三) 統合東金中学校
 昭和四六年(一九七一)四月、学校統合計画により、三つの中学校を統合し、統合東金中学校が誕生した。東金市の未来をになう全子弟が一堂に会し、すぐれた施設、設備のもとで、同一の教育をのねがいにより推進された。
 初代校長には、四三年(一九六八)四月より第一中学校の二代校長大久保正が就任した。しかし、その時点では、統合中学校の新校舎は建設途次にあり、昭和四八年(一九七三)八月までは形式統合の形で、実際の教育活動は、一中校舎・二中校舎・三中校舎とそれぞれ従来の施設で実施された。ここで四六年統合から五八年度までの概要を、歴代校長・生徒数・学級数の変遷・校地・校舎・施設・設備の推移・教育目標の変遷の四つの視点から概括し、更にPTA、後援会活動等、統合中学校としての歩みを記す。
 
(1)歴代学校長
氏名在任期間
初代校長大久保正自昭和四六年四月至昭和五一年三月
二代校長鈴木伝六自昭和五一年四月至昭和五四年三月
三代校長高山博善自昭和五四年四月至

 
(2)生徒数および学級数の変遷
年度学級数生徒数教職員数
一年二年三年その他
46一中校舎七〇三三三
二中校舎四四三二五
三中校舎三九八二一
47一中校舎七二三三三
二中校舎四四五二四
三中校舎三九八二二
48 9月実質統合一一一一一一一、五六六七八
49一一一一一一一、四二四六四
50一〇一一一一一、三七六六一
51一一一〇一一一、三八九六一
52一一一一一〇一、四〇一六一
53一一一〇一一一、三八九六一
54一一一一一、三二〇六一
55一三一一一、三八六五九
56一二一三一、四七〇六三
57一一一二一三一、五七九六四
58一三一一一三一、六二二六五

 
 (3) 校地、校舎、施設、設備の概要と変遷
校地面積六六、三六〇m2
校舎建築面積一二、七八六m2
運動場面積三九、二二〇m2
体育館面積 二、四三一m2
武道館面積 一、三四九m2
プレハブ校舎面積   五七四m2
部室面積   一五九m2

 
年度内容
四六年より四八年八月まで一 統合以前の校舎
   第一中学校 東金市台方七四の二
   第二中学校 東金市田間一一八八
   第三中学校 東金市家徳三四
 をそれぞれ、一中・二中・三中校舎として教育活動を実施する。
二 東金市堀上一一一番地に六六、三六〇平方米(約六町七反歩)の土地を購入し、校舎建築にとりかかり、昭和四八年八月、本体となる校舎(一二、七八六平方米)を落成した。また、運動場(三九、二二〇平方米)の整備にとりかかりすすめた。
四九年 体育館二、四三一平方米を建設し、昭和四九年一一月九日、校舎・体育館の落成記念式典を挙行。
五一年 運動部室の建設にとりかかり、五二年二月二二日、運動部室びらきを実施。
五三年校門を建立
五四年 武道館(柔・剣道場及び作法室一、三四九平方米)および五〇メートルプールの建設にとりかかり竣工。五五年五月、落成記念式典。
五五年 校舎玄関前の舗装工事に着工し、一二月工事完了。体育館前を主体とする舗装工事については、五八年度に完成する予定。
五六年 生徒増にともなうプレハブ教室の設置に着手し、六教室、一職員室(五七四平方米)を完成。

 
○現有施設
  設備の概要
室名室数室名室数
管理室校長室・応接室1特別室生徒会室1
教務室1技術科準備室2
職員室1技術科室4
放送室1技術科管理室1
相談室1技術科教材室1
応接室1家庭科準備室2
保健室1家庭科室4
給食室1教具室3
事務室1視聴覚室1
配膳室4視聴覚準備室1
エレベーター室4アナライザー室1
宿直室1理科室4
会議室2理科準備室3
倉庫6L・L教室2
職員更衣室2L・L準備教室1
生徒更衣室10音楽室M・L3
印刷室1音楽準備室1
湯沸室1美術室2
機械室3美術準備室1
用務員室1図書館1
暗室2便所15
普通教室38自転車小屋5

 
(4)教育目標の変遷
年度教育目標年度(めざす生徒像・教師像・学校像・重点目標等)
48~54(1) 自主的で創造的意欲に満ちた生徒を育成する。46~50方針
(2) 理性的判断力をもち実践力のある生徒を育成する。(1) 地域の特性をふまえた和と創意にみちた校風づくり
(3) 自然に親しみ、文化を愛する情操豊かな生徒を育成する。(2) 学力の向上と真の人間教育
(4) 強健な体力と、強固な意志を持つ生徒を育成する。(3) 情操の教育、環境の整備
(4) 生徒の特性を伸ばし、進路指導の適正化
(5) 地域社会との連携、節度ある生活習慣
51~54学校像
(1) 新鮮な学校であれ
(2) 子どもを生かす学校であれ
(3) 働きがいのある学校であれ
(4) 研修的態度に根ざす学校であれ
(5) 教育力の集中化をめざす学校であれ
教師像
(1) 人間の生き方をともに探求する共学者
(2) 常に子どもに対する共感的理解を基盤とする
(3) 授業の科学化と人間化につとめる
(4) 子どもの学習意欲を育てる
(5) 教育活動を推進する組織人たれ
55~ 心身ともに健康で調和のとれた社会人となることを目指して、強い意志と豊かな知性・情操と自主的精神に富み、自己の最善をつくすと共に、集団の一員として積極的に参加し活動できる人間を育成する。55~めざす生徒像
(1) 自ら学び、深く考える生徒
(2) 思いやりのある、心豊かな生徒
(3) 自己を正しく見つめ、協力しあえる生徒
(4) 体をきたえ、たくましく生きる生徒
望ましい教師像
(1) 慕われる教師になろう
 ○信頼される教師・親しみのある教師
 ○実力のある教師
(2) 教師の信条
 ○教育は情熱である
 ○教育は理解である
 ○教育は創造である
 ○教育は一期一会である

 (5) PTA・後援会活動
① PTA活動
 東金中学校のPTA活動は、形式統合が実施された昭和四六年度(一九七一)にさかのぼる。四六、七年度は、一中・二中・三中のそれぞれの校舎に会長がおかれていた。新校舎が落成し、実質統合の四八年九月、それまでの一中校舎会長・松崎章が初代会長に就任した。
 一市一校の中学校となっているため、役員については、東金・公平・丘山・源・福岡・正気・豊成の七地区の選考委員が選ばれ、会長・副会長五名・会計二名・監査三名が総会で承認される。
 組織は総務・文化・厚生・校外指導・施設の五部により活動を進めている。
 昭和五八年度(一九八三)予算三、八七五、五六九円におよぶが、PTA本来の活動はもとより、発足当時から、教育環境の整備や、生徒の諸活動奨励援助にも力を入れて活動し、多大の成果を挙げている。
② 後援会活動
 一市一中学校の発足となった昭和四八年(一九七三)九月、当時二中校舎後援会長、高橋源太郎を初代会長として統合され発足した。高橋氏は、その後五六年(一九八一)三月まで、全市的な後援会としてまとめられ、その組織の確立と適切な運営にあたったが、その功績は大きかった。
 役員は、東金・丘山・源・大和・公平・福岡・正気・豊成の各地区の区長会長を選考委員とし、会長・副会長・会計・監査を推せんし、総会の承認を得て決定する。会費は、全市内の協力により各戸より年会費一口三六〇円の拠出をされ、五八年度予算は二、九八七、四八四円で、文化・運動部派遣費・生徒活動援助費・施設・設備費として充当される。統合以来、この大規模校の環境整備、施設、設備の充実、および生徒の諸活動の発展充実は、後援会の援助が極めて大きいものがある。
 実質統合直後に結成された、鈴木勝を会長とする「東金市を整備する会」の活動も見のがせない。当時二一〇〇万円余りの浄財が寄せられ、図書館の充実(八〇〇万余)校地周囲の整備(六〇〇万余)、体育館の緞帳(どんちょう)、その他の整備に充当された。また市内老人会組織からは、庭園として「長寿の森」が設置され、寄贈されている。
 このように統合東金中学校は、行政はもとより、全市民あげての暖かい援助により、充実、発展の一路をたどっている。
 初代大久保正校長は、就任以来、そのあくことなき教育への情熱をもって、統合中学校のあるべき理想像を求め、文字通り関係機関との折衝に東奔西走し、全精力を傾注した。統合中学校の校旗、校歌の制定にはじまり、校舎建設、昭和四八年(一九七三)九月の実質統合から、大規模統合中学校の体制確立に至るまで、同校長の献身的な努力があればこそ、その基盤が短時日の間に確立されたのであり、その功績は誠に偉大と言わねばならない。
 同校長の在任期間は東金一中時代三年、統合中学校五年の八年にも及ぶ。実質統合後は、自主的な学習態度の確立にも力点をおき、研修を推進した。また、関東甲信越地区技術家庭科研究大会、千葉県PTA研究大会、学校図書館教育研究大会などが行なわれた。
 在任期間中、時にきびしく、また慈愛あふれる態度で生徒、職員の指導にあたった。そして退任直前に、教育に対する理念や座右の銘としてまとめられた「洗心語録」を刊行した。
 第二代鈴木伝六校長は、永年にわたり千葉県の指導行政の中心的役割を果した経験を生かして学校経営にあたった。時あたかも、中学校教育課程の移行期にあたったが、文部省教育課程研究指定については、すぐれた指導力を発揮した。「ゆとりと充実を目ざしての教育課程の改善」--教材の精選構造化と力動的教授、学習課程--を主題とする五三年度(一九七八)全国公開研究会における提言は、教育界に大きな示唆を与え、特別教育活動の実践は、千葉県の準則に生かされている。また、県社会科研究大会会場として社会科教育進展のため大きな成果を収めた。
 第三代高山博善校長は五四年(一九七九)四月就任、現在に至る。同校長は永年にわたり、県の指導行政、管理行政両面に貢献され、その手腕は卓越したもので、地域・生徒・職員の信頼を一身に集め、経営にあたっている。教育目標設定は、めざす生徒像、望ましい教師像、信条を具体的に示し、その理念は教師集団に浸透、教育目標の具現化にむかっている。
 昭和五六年(一九八一)から三年間にわたり、文部省教育課程研究指定校として「学ぶ楽しさ、わかる喜び」を通して、生涯学習の基盤を培う教育課程の研究開発をテーマとして研究にとりくむ。昭和五七年度(一九八二)には、その成果の一端を全国公開研究会において発表した。その提言は幾多の参会者に多大の示唆を与えたが、選択学習、特に習熟度判別学習方式を導入した実践は、斯界の注目をあつめ、高い評価を受けている。またNHKの放送、新聞記事等で広く紹介されている。この研究主題のひとつである習熟度別教育は今後の中等教育に大きな示唆を与えると思う。
 しかしそのかげには、町村時代から市への発展に至るまでの行政当局の努力は勿論、地域住民や有識者、PTA、後援会などの支援と、経営にたずさわった教師達の真摯な取り組みがあったことも忘れてはならない。
 今や、人口の社会増など、社会環境の変化に伴って、統合中学校については、三校分離策が決定され、すでにその計画は実行の緒についている。
 時代の流れに逆うことはできないが、現在までのすぐれた東金中学校教育、ひいては東金教育の良き伝統がひき継がれ、いよいよ発展、充実することをねがわずにはいられない。
                   (資料 東金中学校提供)