東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第二篇 宗教

C 東金市の教会

教会各説

1 キリスト教

所在地 東金市東金一三九一
創立 明治二三年(一八九〇)一〇月
信者数 六〇名
敷地面積二二五坪
 
歴代牧師名 明治二三年-二六年 市川為四郎
      明治二六年-二九年 高野丈三
      明治二九年-三〇年 下元喜之助
      明治三一年-三二年 金子吉之助
      明治三二年-三七年 市川為四郎
      明治三七年-三八年 高橋信太郎
      明治三八年-四二年 手塚新
      明治四二年-四三年 石出精一
      明治四四年-大正六年 高野丈三
      大正七年 -八年  坂本富弥
      大正八年 -昭和七年 高橋信太郎
      昭和七年 -昭和一二年 有賀忠助
      昭和一二年-一三年 木山勇司
      昭和一三年-一四年 小黒薫
      昭和一四年-一八年 黒岩春馬
      昭和二二年-二三年 野辺地天馬
      昭和二四年-二六年 吉岡勝
      昭和二七年-三八年 浅香敏雄
      昭和三九年-五四年 浅野裕
      昭和五五年-    中村征一郎
 
 昭和一六年(一九四一)までは日本福音教会といわれていたが、一七年合同して日本基督教団と呼ばれるようになった。福音教会として活躍したのは明治二二年(一八八九)からである。牧師高野丈三・清水政忠であるが、この時期、フェゲライン牧師が宣教師として最初に東金を訪れている。明治二三年(一八九〇)、日本福音教会の新伝道地として東金に伝道所が設けられ、同時に牧師が任命された。市川為四郎である。
 市川牧師は、東金およびその近傍に七つ(小野・川場・中野・家ノ子・佐倉・東金・大網)の伝道所を持った。働きが拡大されたので、東金伝道地には更に伝道者を増すことになり、明治二四年(一八九一)、市川牧師と共に横谷得三郎が着任した。明治二五年(一八九二)、町の大通りの優れた位置に会堂の場所が決定され、建築は、明治二五年に始まり翌年の始めには完成、献堂式は明治二六年(一八九三)二月挙行された。伝道開始後間もない教会としてかくの如き事がなされたという事は偉業であった。たった一名の婦人の信者によって発足した教会が、この時期五〇名に増えたのである。賞揚されるべきことであった。二月の献堂式についてフェゲライン宣教師は、「この町に未だ曽て無いことであって町の人々にとっては、一つの事件であった」と書いている。ところが、この場所も手狭になり、昭和二年(一九二七)教会堂の移転が決定した。旧地より程遠からぬ処にすぐれた土地をみつけ、一二〇坪を買い、なお一〇五坪をすでに開園している幼稚園の運動場の為めに借りた。教会堂は新しい場所に引き移され再建されたのである。日曜学校と幼稚園の為めに二つの級別室が加えられ、小さな小使室も建てられた。
 順調な発展の中にも礼拝堂を建てたことによる異宗教からの迫害もあった。その後、多年定った形の伝道を続行したが、大正一〇年(一九二三)信者や町の人々の熱望によって幼稚園が開設され、教会堂の中で保育が行なわれた。ときがね幼稚園は、千葉県でも三番目に古く、初代園長は三須平三郎である。卒園児七〇〇名をかぞえ、保育内容には宗教教育が加えられ「畏れるべきものを畏れる」という教育をしている。歴代牧師の中には著名な牧師も出ており、高野丈三は山本五十六元帥の兄であり、野辺地天馬は児童文学者としても有名である。
 戦前の教会は町の有力者によって運営されていたが、県会議員をつとめた若き日の久保田専蔵初代・園長でもあった三須兵三郎は現大網白里町養安寺の大地主である。これらの人々と教会が中心になって、矯風会・禁酒会等が作られ、その主旨が住民の間に浸透していった。
 また、内村鑑三・賀川豊彦を招いて講演を行なっている。(参考資料「日本福音教会史」)