東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第二篇 宗教

A 東金市の神社

(二) 神社各説

福岡地区

 東金市大沼田字上ノ原にある。境内は二〇〇坪(六六〇平方メートル)ある。祭神は面足命(おもだるのみこと)と惶根命(おそれねのみこと)の二柱である。旧社格は村社。
 この神社の歴史について、石井与一郎編「大沼田小誌」には左のごとく記している。
 
 「鎮守皇産霊神社ハ字上ノ原ニ在リ。遠ク六百余年ノ昔、正安二癸辰(みずのとたつ)年(一三〇〇)ノ祭祠ニシテ、明治以前ハ第六天ト称シ、神体ハ神ニアラズシテ、第六天並ニ第六天魔王ノ二仏体ナルガ、明治元年(一八六八)神仏混合ヲ厳禁セラレタルガ故ニ、面足命惶根命ト改称シ、同三年宮谷県庁ヨリ神社ニ仏祭禁止ノ厳達アリ。同四年三月皇産霊神社トシテ、宮谷県庁ヘ届ケ出デタルモノニシテ、其レヨリ以来、皇産霊神社ト称セリ。」(「東金市史・史料篇一」一二五頁)
 
今から六八五年前、鎌倉時代の正安二年の建立というから、かなり古い神社である。明治以前の神仏混淆時代には第六天と称され、仏教の神たる第六天王と第六魔王を祀っていたという。それが明治になってから皇産霊神社と称されるようになったわけだが、同じ名の神社が東金地方にも数社ある。しかし、祭神は必ずしも同じではない。油井と黒田にある同名の神社の祭神は高皇産霊神と神皇霊神であるのに反して、この大沼田の神社と小沼田の同名の神社は面足命と惶根命を祭神としている。祭神が異なっていながら社名が同じなのも変な感じがしないでもない。
 本社のように面足命と惶根命をまつった神社が仏教の神たる第六天王または第六魔王に附会されて第六天と称されるのは例が多い。それは、面足命と惶根命が記紀神話の天神第六代の男女神であるところから、仏教の第六天王ないし第六魔王に附会し、もろもろの災害から守ってくれる神として崇め、俗に第六天と称するようになったのである。(もっとも、田間神社のように高皇産霊神・天之御中主神等を祭神としていながら、第六天と称した神社もある。)
 ところで、本社は第六天王と第六魔王をまつっていたのであるが、どちらかというと、第六魔王が主神とされて、文化八年(一八一一)まで続いてきたが、その年になって、主神の地位を第六天王に移したという。それは、村の若者たちが兎角他村の者たちとトラブルをおこすことが多く、それは第六魔王を主神としているところに因由があるものと判断して、第六魔王を主神からおろして、第六天王と入れかえたというわけである。
 本社は現在上ノ原に鎮座しているが、それは天正年間(一五七三-一五九一)以後のことであって、天正時代までは同じ大沼田の北部字(あざ)大六というところにあった。この大六の地名は第六天に因むものである。大六から上ノ原へ移ったのは、天正一九年(一五九一)のことである。その事由は、従来の沼田郷が大沼田村と小沼田村の二つに分かれることになったたためで、その際、第六天社も二つに別れることとなり、大沼田村の第六天すなわち本社は上ノ原へ移転し、小沼田村の字高宮に新しい第六天を建立することになったのである。現在の小沼田・皇産霊神社がそれである。
 神仏混淆時代には、妙経寺の住職が別当として社務を執り行なっていた。本社の社殿の建立修築等の経緯はほとんど不明である。分かっているのは、正徳四年(一七一四)一〇月に本社の修理と雨屋の新築が行なわれたこと、文政一一年(一八二八)一一月に前殿が建てられたこと、天保五年(一八三四)九月に木造の鳥居が再建された(現存のもの)ことぐらいが伝えられている程度である。
 本社の祭礼は毎年旧暦九月二〇日に行なわれる。昔は獅子舞もにぎやかに催されたが、他村まで出ていって喧嘩などになりがちだったので停止されてしまったという。また、本社の氏子は生まれて百一日目と、七五三の祝には、貧富を問わず、清酒と赤飯または餅を供えて参拝する習慣がある。