東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第二篇 宗教

A 東金市の神社

(二) 神社各説

大和地区

 東金市小野福俵にある。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)・姫子命(ひめこのみこと)・大日貴霊尊(おおひるめのみこと)・月読尊(つきよみのみこと)・少彦名尊(すくなひこなのみこと)の六柱の神をまつってある。
 創建の年時は不明である。鳥居には「六所大明神・安永八己亥(つちのとい)九月吉日」と刻まれてある。安永八年(一七七九)は江戸中期だが、その頃かそれ以前に建立されたものであろう。六所宮とか六所明神とかいう社が各地にあるが、それらはその国の一の宮から六の宮までを一か所に祀ったものであって、往古は国府またはその附近に建立するのが普通であった。いわば、一種の綜合神社であろう。
 本社の鎮座する小野福俵というところは、小野村と福俵村の中間地点にあって、二つの村の板ばさみ的な運命を背負っていて、農事関係とくに用水の問題ではいつもなやまされていた。地水(じすい)の流れたる小野川が小野村を流れ、その水を五十樋(どい)という堰で分水することになっていて、その五十樋は福俵村が管理していた。小野福俵では勢い両方の村に気を使わなければ身が保てなかった。水論も幾度かおこっている。親和と平安とはこの土地の人たちの切実な願いであった。そういうところから建てられたのが本社であった。これは筆者の独断的な見解ではなく、土地の故老に聞いた結論である。神社には多かれ少なかれ、こういうナマナマしい現実的な背景があるのである。

六所神社(福俵)

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 東金市田中字(あざ)中屋にあり、武甕槌命(たけみかづちのみこと)・速秋津比売命(はやあきつひめのみこと)の二柱を祭神とする。村社であり、境内は五九八坪(一九七三平方メートル)の広さを持つ。
 この神社は鹿島神宮系統の社であるが、その由来については、平将門の乱(天慶(てんきょう)の乱)の際、朝廷から征東大将軍に任ぜられた藤原忠文の要請によって勧請されたものといわれる。
 その勧請の年時について、「上総国誌」(六之巻、村部下)には「天慶八年乙巳(きのとみ)九月十九日鎮座未詳と」書いている。天慶八年(九四五)といえばば、平将門の死(天慶三年)後五年目になる。すると、この社は乱平定を感謝する意味で勧請されたものであろうか。
 なお、本社と同名の神社が隣区の福俵にある。福俵の社は田中の社が移祀されたものと「上総国誌」は書いている。(福俵の「鹿渡神社」の項参照)
 また、本社は大正二年(一九一三)二月三日、同所字(あざ)岩木の水神社を合祀している。
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 東金市福俵字荒井にある。天迦具土神(あめのかぐつちのかみ)・武御方命(たけみなかたのみこと)・水速女命(みずはやめのみこと)・大山咋命(おおやまくいのみこと)の四柱の神をまつってある。(「山武地方誌」(五九一頁)は武甕槌命一柱とする)境内の広さは六四〇坪(二一一二平方メートル)である。
 本社は田中の鹿渡神社と同じ名を持ちながら、祭神が全くちがっている。ちょっと異様な感じがする。天迦具土神(あめのかぐつちのかみ)は火の神、武御名方命(たけみなかたのみこと)は武の神、水速女命(みずはやめのみこと)は水の神、大山咋命(おおやまくいのみこと)は穀物の神であるが、武御名方神は諏訪神社の祭神で、鹿島神宮の武甕槌命とは敵対関係の神である。
 ところで、「上総国誌」(巻之六、村部下)を見ると、本社のことが、田中の鹿渡神社と関係づけながら次のように記されている。
 
 「福俵村ハ田中村ト東西ニ地ヲ接ス。古ヘハ一村タルカ。故ニ、鎮守ノ鹿渡神社ノ祭神ハ武甕槌命。天慶(てんぎょう)八年乙巳(きのとみ)(九四五)九月十九日鎮座ス未詳。田中村ト同神タリ。然レドモ、本村ニ移祀(いし)スル所ノ年紀不詳ナリ。」(原漢文)
 
これによると、田中の鹿渡神社は天慶八年(九四五)に創建されたが、その霊を福俵に移して同名の神社をつくったが、その年代は不詳である。祭神も同じ武甕槌命であるというのである。このように、「上総国誌」は武甕槌命一柱とするが、これと同説なのは前に注記した「山武郡地方誌」である。これに対して、天迦具土神以下四柱説を取るのは、「上総国山武郡神社明細帳」と「山武郡郷土誌」(三三五頁)である。しからば、いずれを正しいとすべきであるか。
 本社の創立は、「上総国誌」では「不詳」ということだけれども、前引の「明細帳」には、次のような記述がある。
 
 「当社創立文亀三年五月大旱魃にて、参籠して祈雨を乞ふ。然るに、其の神徳有って降雨す。」
 
これによると、室町時代の文亀三年(一五〇三)五月に創立されたと読める。そして、その年大旱魃があったことになる。田中の鹿渡神社が天慶八年(九四五)に建てられたとすると、五五八年後の建立になる。
 なお、本社は大正二年(一九一三)九月一八日同所字中島の諏訪神社を、同年一〇月七日同所字新畑の水神社と同所高畑新田の日吉神社を合祀している。
 また、本社の表鳥居は元禄一四年(一七〇一)九月(神名を「鹿渡大明神」と記す)の寄進であり、中鳥居は享保八年(一七二三)八月(神名を「八幡大菩薩」と記す)の寄進である。
 
  参考資料
 一鎮守鹿渡大明神(三間四面、高サ一丈)
    除地ニテ本福寺持ニテ御座候。
  御本尊 御丈一尺一寸
    拝殿御座無ク候。
   外
    末社五ケ所御座候。
     右同断除地ニテ本福寺持ニテ御座候。
    (「福俵村明細帳」(享和二年)「東金市史・史料篇一」所収一九二頁)