東金市/東金市デジタル歴史館

東金市史

総集篇五

第一編 人物

A 東金の人物

(二) 行政家

 弘化四年(一八四七)一〇月、上総国武射郡作田村(山武郡九十九里町作田)農業、作田家に生まれる。諱(いなみ)は直方、通称は善平である。
 幼時から向学心が強く、同村に住む大儒大関劔峯の塾に入門して漢学を学ぶ。特に経史に造詣が深かったと云う。
 元治元年(一八六四)一八歳の時、山辺郡家之子村(東金市家之子)農業、川崎善右衛門の長女以勢(いせ)と結婚、同家の養嗣子となる。
 当時、川崎家の当主はすでに亡く、祖父も退隠後のため、弱冠の身ながら家督を嗣いで、孜々(しし)として家業に精励してよく家政を治めた。
 時あたかも明治維新が成り、新日本の草創期に当たり、諸制度の改変は目まぐるしい中にあって、彼は大小の公職を歴任して、よくその職責を果たしているのである。すなわち、明治一三年(一八八〇)家之子村外三か村の戸長に選ばれ、次いで山辺郡徴兵参事の任に当たり、同二二年(一八八九)新制公平村創設の際は同村村会議員に挙げられ、四年間在任し、続いて同二六年(一八九三)には第二代公平村長に選ばれ、同二九年一月までその職にあって村政に尽瘁して大いに治績を挙げている。
 その生涯の大半を公事に貢献、終始一貫清廉剛直をもって一世に推重されたのである。
 彼は剛直をもって鳴る半面、その思想は極めて進歩的で、夙(つと)にルソーや中江兆民を知って、自由・平等・民権等の思想に共鳴し、進んで自由民権の政治結社に加わりその運動を熱烈に推進していったのである。すなわち、明治七年(一八七五)板垣退助の下野以来、その主張と行動に感動し、明治一四年(一八八一)自由党が結成されると同時に、いち早くその傘下に赴き、地方政界の一耆宿(きしゅく)として、憲法制定、国会開設等の請願運動に奔走している。
 また、明治八年(一八七五)九月、家禄・典禄の米給制を廃し、これを金禄制に改正の際勃発した地租問題には、農民の代表として元老院にその減額請願運動を続け、遂にその目的を達成したのである。
 地方自治行政から国事に及ぶ大小公共事業に貢献したその功績は、誠に偉大なものであるが、彼は毫もこれを誇る気配はなく、却って自己の尽力の足らないのを恥じて嘆いたといわれる。また、その死を予知するや、「わが墓標には罪人川崎善平と記せ」と遺言したと伝えられている。誠に謙虚高邁な人物と云うべきである。
 大正五年(一九一六)九月二四日、病のため逝去した。享年七〇歳である。
 彼の頌徳碑は東金市家之子妙宣寺内、川崎家墓域内に建立されている。この碑の篆額は自由民権運動の大立物で著名な政治家であった河野広中によるものである。

川崎善平

 
 【参考資料】
   川崎善平君碑
            (東金市家之子妙宣寺、川崎家墓地)
 君諱(いみな)直方、通称善平。弘化四年十月(一八四七)本郡作田村作田家ニ生ル。漢学ヲ碩儒(せきじゅ)①大関剣峯先生ニ学ビ、造詣(ぞうけい)深シ。
 年十八、出デテ川崎善右衛門ノ嗣子ト為り、長女以勢(いせ)ニ配ス。当時家厳②世ヲ去リ、祖翁退隠セルヲ以テ、幾(いくばく)モナク家政ニ掌ル。爾来間断ナク公職ヲ帯ビ、村治細大トナク君ノ指導ヲ俟(ま)タザルモノナシ。明治十三年(一八八〇)家之子外三箇村戸長ニ撰バレ、明治二十二年(一八八九)公平村組織セラルルヤ、村会議員ニ挙ゲラレ、尋(つい)デ村長ニ推選セラレ、功績大ニ揚ル。復(ま)タ明治二十二年本郡徴兵参事員ニ撰バレタリ。
 要スルニ、君一生ノ大半ヲ公事ニ尽瘁シ、終始一貫清廉硬直ヲ以テ推重セラル。是ト同時ニ、君ハ自由平等ノ思想ヲ懐抱セラレ、他半面ノ生涯ニ於テ国事ヲ軫念(しんねん)③シ、地方政界ノ耆宿(きしゅく)④トシテ活躍奮闘ヲ懈(おこた)ラザリキ。就中(なかんずく)、県民ヲ代表シテ元老院⑤ニ赴キ、減租ヲ請願セルガ如キ、真摯熱誠上下ヲ感動セシメタルモノアリ。其ノ後、本県ニ於テ多額ノ地価低減ノ恩典ヲ見タルハ、偶然ナラザルベシ。
 君ガ多年公共ニ於ケル功労ハ、地方人士ノ推奨シテ措(お)カザル所ナリ。然レドモ、君居常毫モ其ノ労ヲ誇ラズ、却テ尽力ノ足ラゼルヲ嘆ゼラレタリ。晩年語ツテ曰ク、吾死所ヲ知ラズ、ト。想フニ、自家本分ヲ尽サザリシヲ感ゼラレタルニアラズヤ。亦、易簀(えきさく)⑥ニ先ダチ遺言シテ曰ク、墓標ニ罪人某ノ墓ト記セヨ、ト。益々以テ自覚ノ高遠ナルヲ忖度(そんたく)⑦スベキナリ。
 大正五年(一九一六)九月二十四日、病ヲ獲(え)、家ニ逝ク。享年七十。先塋(以下欠文)
              正四位勲一等 河野広中⑧ 篆額⑨
                       有志者建之
 
 注 ①大学者、碩学ともいう。
   ②自分の父のこと、母のことは「家慈」という。
   ③細かく心配すること。本来は天子についていう。
   ④長老のこと。本来は学問のある徳の高い老人の意。
   ⑤明治初年の立法府。明治八年に設けられ、同二三年廃止となる。
   ⑥人の死ぬこと。
   ⑦他人の心の中をおしはかること、推察。
   ⑧明治大正時代の有名な政治家。福島県の人。自由民権運動の大立物。のち衆議院議員、農商務大臣となる。
   ⑨碑などの上部に篆(てん)書体の文字で書かれた題字のこと。