船橋市西図書館/船橋市デジタルミュージアム

ふるさと船橋の地名を知る

ふるさとの地名(改訂版) ――船橋の地名の由来を探る――

江戸時代・明治初期の村名

 米ケ崎も古い起源を持つと推定される集落である。平安時代末に夏見を中心とする一帯が伊勢神宮の荘園とされ、夏見御厨と呼ばれた時には、米ケ崎もその一部になったと推定される。
 米ヶ崎にもかつては中世城址があったが、土取りで崩されて跡形もない。
 江戸時代前期の寛文年間(一六六〇年代)頃は佐倉藩領であり、元禄年間(一七〇〇年頃)には幕府代官領と旗本曽雌氏の知行地とされていた(幕末には幕府代官領のみ)。
 明治二十二年に八栄村の大字となり、昭和十五年に船橋市米ケ崎町に変わった。
 米ケ崎の語源については、古くから次のような伝説があった。「日本武尊が夕日神社を夏見にまつって、その年の新穀をささけて新嘗(にいなめ)祭をした時、この土地からまっ先に米を奉納したので、米が先の地名となった」。もちろんこれは伝説であって実際の語源は、はっきりとは分からない。「崎」は突き出た台地の意と思われ、実地の地形によく当てはまっている。ところが「こめ」がはっきりしないのである。一応は①「込」で古代牧場の追込場のある岬の意(台地続きの飯山満・芝山に駒込・馬込台の地名がある)、②こめは「こま(細)」の転で、小さな岬状の台地、等が考えられるが現時点では未詳である。
 
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