船橋市西図書館/船橋市デジタルミュージアム

ふるさと船橋の地名を知る

ふるさとの地名(改訂版) ――船橋の地名の由来を探る――

江戸時代・明治初期の村名

 藤原は隣の上山・丸山・行田と共に、江戸時代の延宝年間に成立した新田村落である。当時の開墾地は入植後三年間位は無年貢で、役人の検地を受けて初めて「村」として認められた。藤原新田の検地は延宝三年(一六七五)に実施され、他の新田同様幕府代官領とされた。
 この藤原の地名については、剣豪宮本武蔵と結びつける話がかなり広まっている。奥羽を巡って常陸路を江戸へ向かう武蔵が「法典ヶ原」で、父を亡くした少年三之助(伊織)とめぐり会って荒野を開墾し、本姓名藤原玄信に因んで藤原新田と名づけたというものである。この藤原新田命名の話は、行徳周辺の武蔵伝説と、吉川英治の小説『宮本武蔵』の内容が混同して広まったものであろう。法典地区の開墾は行徳辺から移住した者達が中心になって進めたが、行徳には武蔵伝説が多く、徳願寺には武蔵の墓と称する石地蔵(正徳二・一七一二)と、直筆と伝える書画が存在している。しかし、『宮本武蔵』の「法典ヶ原」が全くの創作であることは、樋口清之著『逆・日本史2』(祥伝社刊)に詳しく書かれている通りであるし、藤原新田の成立は武蔵死後三十年もたってからである。実際の藤原の地名は、草分けの鈴木家の本姓藤原氏によるというのが現時点では妥当であろう。
 明治以後は二十二年に法典村が成立するとその大字となり、昭和十五年に船橋市藤原町一~三丁目に変わった。藤原町は平成三年の住居表示で藤原一~八丁目に変わった。
 
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