船橋市西図書館/船橋市デジタルミュージアム

ふるさと船橋の地名を知る

ふるさとの地名(改訂版) ――船橋の地名の由来を探る――

江戸時代・明治初期の村名

 寺内は印内の西に位置し、やはり古代から続く集落と考えられる。
 寺内の語源は、文字通り大きな寺の内と考えられている。その寺については、①今の常楽寺が案外の古寺であって、それに由来するのではとする説、②古作の明王院が格式あった寺で、古作の土地はおろかこの地域まで寺域内であったからとする説がある。さらには③旧本郷の廃寺万善寺は、中世の千葉氏ゆかりの伝説の古寺であったので、その寺域内かとも想像される。
 一方、地名学上は漢字と無関係の地形語源説をとることもできる。それは④「平らな入り谷」をテラウチというとする見方で、後で「寺内」の字をあてたと考えるものである。
 ①~③の寺院起源説と、④の地形語源説の可否は、大規模な寺院址の知られていない現時点では、いずれとも決めがたい。
 江戸時代には印内や古作同様、主に幕府代官領であり、明治二十二年に葛飾村の大字となった。
 ところが、寺内の地名は昭和十五年の船橋市新町名設定の際、葛飾町一・二丁目に変わって失われた。さらに昭和四十六年住居表示の実施により、旧寺内は西船七丁目の大部と、西船四・五・六丁目及び東中山二丁目の一部に細分された。ただし、JR線南側の葛飾町二丁目はそのまま残って、現在に至っている。かつてはほとんど水田であった部分である。
 
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