船橋市西図書館/船橋市デジタルミュージアム

ふるさと船橋の地名を知る

ふるさとの地名(改訂版) ――船橋の地名の由来を探る――

江戸時代・明治初期の村名

 千葉県は全国一貝塚の多い県である。原始・古代の遺跡である貝塚は、全国で三千余り知られているが、その二割近くが千葉県にある。
 今回紹介する前貝塚・後貝塚(旭町)も、縄文時代の貝塚があることから付いたと考えられる村名である。
 前貝塚の貝塚は塚田小学校東方と旧集落北西の墓地周辺にあり、後貝塚の貝塚は熱田神社の東南にある。いずれも縄文時代中・後期(約五千~三千年前)の貝塚と推定される。
 地名の「前」「後」は海側から見た位置で付けられているから、かなり古い時期の地名であろうが、起源は不詳である。船橋・鎌ケ谷地方には、この外にも貝塚に因む地名が何ヶ所かあるが、江戸時代の村名になったのは、この両村だけである。
 前貝塚・後貝塚とも現在に続く集落の起源は、古代~中世のある時期であろうが、現時点では想像の域を出ない。室町時代には両地区とも中山法華経寺の影響を受け、日蓮宗地区となったようである。
 江戸時代には前貝塚村は幕府代官領、後貝塚村は旗本遠山氏の知行地とされた。明治二十二年に塚田村が成立すると両村はその大字となった。
 やがて昭和十五年の船橋市新町名設定の際、前貝塚は前貝塚町となり、後貝塚は旭町と改称した。「旭」は鎮守熱田神社の祭礼日の十月九日からとったのだそうである。地名の「後・下・裏」字は敬遠されるようになったという典型例であろう。旭町は平成三年住居表示により旭町一~六丁目となった。
 
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