船橋市西図書館/船橋市デジタルミュージアム

ふるさと船橋の地名を知る

ふるさとの地名(改訂版) ――船橋の地名の由来を探る――

町村制でできた村名

 明治二十二年に成立した村名の最後は、法典村についてである。法典村は江戸時代からの藤原新田、上山新田、丸山新田が合併して成立した。この三村はいずれも、江戸時代の延宝三年(一六七五)頃に成立した新田村落である。新田というのは江戸時代に開墾された村(土地)をさし、畑地のみでも何々新田と名づけられた。
 三村の土地は、開墾以前は幕府の牧場であった。そこが開墾されたのは、幕府が年貢量を増加させることと、人口増加に対応するため、開墾を許可したことによる。
 明治二十二年の町村制施行の際、当初は藤原等三村は前貝塚等三村と一つの村を組織する計画であったが、種々問題があって実現せず、成立事情を同じくする藤原、上山、丸山だけで一村を組織した。
 法典(ほうでん)の名称は『千葉県町村合併史』には、「藤原新田、丸山新田等の諸村は法典と総称され、近隣に通じているのでそれに由った」とあるが、今一つ釈然としない。江戸時代の、古文書類に「法典」が見えないからである。だからこの仏教的な言葉が、なぜ村名に採用されたのかは未詳というしかない。ただ、上山地区にある字(あざ)の「法伝」は、かつては藤原の一部まで指していたと思われ、それが字を変えて新村名に採用された可能性はある。
 法典村は昭和十二年に船橋市になった。
 
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