宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 民俗編

第七章 交通・交易

第一節 交通

一 道路の変遷

(二)『武蔵国郡村誌』に見る道路

 明治六年八月に明治政府によって「河港道路修築規則」が制定され、全国の道路が一等から三等に区分された。さらに、同九年六月には道路の等級が廃止され、新たに国・県・里道に分けられ、県道は一等から三等まで区分された。このころの道路の様子をうかがう資料として、『武蔵国郡村誌』(以下『郡村誌』という)がある。表1に『郡村誌』に記載される各村の道路をまとめた。
 表1をみると町域の主要道で最も道幅の広い道は、岩槻~幸手間の道程中に町域を通過していた「旧日光御成道」であった。幅は四間で約七・二メートルである。そのほかには巾二間(約三・六メートル)ほどの久喜や粕壁などの町場への往還道がある。この道筋は日光道中の杉戸宿から百間村、須賀村を抜けて御成道に通じるものであった。さらに御成道へ通じる岩槻道、村道があった。このように、当町においては杉戸宿から御成道、久喜、粕壁へ向かって放射線状に延びた道が町域を横断していた。
 町域ではさらに百間村など多くの村で、集落間を結ぶ道や粕壁方面への道筋が三ルート確認されている。一つは太田新井村(現白岡町)から台地上を内牧村へ向かう道筋、一つは西光院から隼人堀川の谷間を抜けて内牧村へ向かう道筋、百間東村から古利根川沿いに梅田村(現春日部市)へ向かう道筋がある。
 大正八年四月には「道路法」が公布され、国道・府道・県道・郡道・市道・町道・村道が定められ、現在の道路行政の基礎ができあがった。
表1 『武蔵国郡村誌』に見る道路一覧
村名道路名起点 終点長さ備考
百間粕壁道須賀村内牧村界三三丁五〇間五尺二間久喜町辺より粕壁宿へ
百間中村岩槻道清地村界太田新井村界三〇丁七間二尺二間杉戸宿より岩槻町に達する路
百間東村岩槻道清地村界太田新井村界三〇丁七間二尺二間杉戸宿より岩槻町に達する路
百間中島村岩槻道清地村界太田新井村界三〇丁七間二尺二間杉戸宿より岩槻町に達する路
百間金谷原組岩槻道清地村界太田新井村界三〇丁七間二尺二間杉戸宿より岩槻町に達する路
百間西原組岩槻道清地村界太田新井村界三〇丁七間二尺二間杉戸宿より岩槻町に達する路
蓮谷村岩槻道清地村界太田新井村界三〇丁七間二尺二間杉戸宿より岩槻町に達する路
東粂原村道爪田ヶ谷村界須賀村界六丁四〇間二間 
村道西粂原村界須賀村界八丁二〇間二間 
西粂原旧日光御成道下野田村界国納村界八丁二六間四間二等道路
村道高岩村界東久米原村界一三丁五三間二間 
須賀久喜道百聞中島村界和戸村界二三丁六間二間 
和戸・国納旧日光御成道西久米原村界高野村界七丁四七間余四間