宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 民俗編

第六章 身のまわりの生活史

第一節 衣生活

六 容姿

(一)髪形

 女性は髪を伸ばして日本髪を結っており、大正時代まではハレの日はもちろんのこと日常も日本髪であった。昭和初期には日常に束髪を結う者が増え、日本髪は行事や儀礼を伴うハレの日に結われるものとなった。
 日本髪の形は年齢や立場によって異なり、一〇代の娘は桃割、花嫁は島田を結い、嫁いだあとは丸髷に結い替えた。丸髷は、年齢を増すにしたがって次第に髷が小さめになった。また、銀杏(いちょう)返しという髪形もあり、これは二〇代から三〇代にかけて未婚既婚を問わず幅広く結われた。日本髪を結うには、専門のカミイサン(髪結いさん)へ行った。カミイサンは和戸、百間新道、杉戸町、春日部市など各所におり、馴染みのところへ結いに行ったものである。また、婚礼ではカミイサンが出張して髪結いから着付けまでを行った。
 日本髪で寝るときは、横を向いて耳の下に箱枕(6-12)を当てた。こうすると、日本髪の髷が崩れなかったのである。箱枕には、髪油が染みないよう和紙を巻いた。

6-12 箱枕

 明治末期から大正時代には、ハイカラという髪形が流行した。これは、額(ひたい)の上にすき毛を入れて前髪を膨らませるもので、高く膨らませるほど派手になった。
 昭和初期には、髪にコテを当ててウェーブをつける洋髪が流行した。戦前には、断髪をしてパーマネントをかける者も出てきたが、戦争中には質素倹約の心得からほとんどの者が髪を後ろで引っ詰めて束ねるようになった。終戦後には杉戸町や春日部市にパーマ屋(美容院)ができ、パーマネントをかける者が多くなった。