宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 民俗編

第三章 年中行事

第三節 春から夏の行事

一 二月の行事

 二十四節気の一つである立春の前日を節分という。冬から春の節に変わるときでもあり、トシコシ(年越し)、トシトリ(年取り)ともいう。節分は旧暦ではちょうど大晦日にあたり、その日には鬼追いの行事が行われていた。節分には家々ではホウロクで大豆を煎り、豆の枝に鰯の頭を刺して焼いたヤッカガシを戸口等に挿し、悪病などを防ぐ行事も行われる。

3-23 節分(須賀 I家)


3-24 節分(逆井 H家)

 節分の豆まきに使う豆を煎るときには、豆の枝に鰯の頭を刺したヤッカガシを数本(二本、五本、一二本と家により異なる)、豆の木を燃やしながら焼く。このとき農作物の虫除けに「五穀の虫の口を焼きます(本田)」などと唱え「ペッ、ペッ、……」と唾をかけて、害虫駆除を願いながら焼いた。この唱え言は家により異なり、西粂原のある家では「鰯の頭を家族の人数分だけ豆殼(まめがら)に刺して、田の虫、畠の虫、一切封じ込み、悪病一切撲滅、家内安全、五穀豊穣、……」、山崎のある家では「稲の虫の嘴(くちばし)を焼く、麦の虫の嘴を焼く、豆の虫の嘴を焼く、大根の虫の嘴を焼く、菜っぱの虫の嘴を焼く、ソウモッコク(全ての)虫の嘴を焼く……」、本田のある家では「稲の虫を焼き殺す、麦の虫を焼き殺す……」、本田のある家では「五穀の虫の口を焼きます、……」、内野のある家では「稲の虫もチリチリ、豆の虫もチリチリ、……」などと言う。
 この鰯の頭を豆の木に刺して焼いたものをヤッカガシ、といい、内野では一年が一二か月なので一二本の作り、藁で縛ってトボグチ(玄関)に結び付けておいた。煎った豆は夕食後の豆まきで使うので、大神宮様の棚に上げて置いたり、戸棚に入れておく。豆をまくときには、「福は内、福は内、鬼は外、……」と言いながら、大神宮様からまき始めて各部屋をまいて、最後に戸を閉める。ヤッカガシは、疫病よけの呪術として母屋の玄関と裏口、蔵の入り口、外便所など人の出入りする所や軒下などに挿す。
 辰新田のある家では、丸のまま味噌漬けにしていた冬至のゆずを切ってトシコシに食べた。皮の厚いゆずをノノコユズという。ノノコとは綿入れのことで、厚い皮がフワフワしていて、ちょうどノノコのようだということである。ノノコユズのように皮の厚いのが味噌漬けにはよい。
 節分の豆は年の数だけ食べれば健康に過ごせるといい、次のような伝承が伝わっている。
 ○節分の豆を保管しておき、ライサマ(雷様)が鳴った時に食べると落雷しないという。
 ○ライサマが鳴ったらライサマに節分の豆をぶつけろ。
 ○雷が鳴ったら節分の豆を井戸に投げ入れると落雷しない。
 ○節分の豆を歳の数だけ食べれば長生きできる。
 ○初午のスミツカリを作るときには、節分にまいて残った豆を一緒に使う。
 本田のある家では、節分の豆を煎るときに、鰯の頭を芋幹に刺して豆と一緒に焼く。焼くときには「五穀の虫の口を焼きます。……」などと言いながら、唾をかけて焼き、この鰯の頭はトボグチに虫よけに挿す。煎った豆は一升枡に入れて、豆まきまで恵比寿様の棚に置く。豆まきはあらかじめ戸を開けておき、歳神様の部屋から行い、各部屋を回ってから屋外の蔵、納屋、便所と行う。豆をまくときには「福は内、福は内、鬼は外」と言いながらまき、「福は内」のときには部屋の中に向かってまき、「鬼は外」のときには外に向かってまく。まき終わると戸を閉める。また、翌日座敷が豆で散らかっていても、午前中は掃き出してはいけないと言う。
 辰新田のある家では、節分のことを年越しともいう。豆まきの豆をホウロクで煎るときに、豆殻に鰯の頭を刺したヤツガシ(八頭)を八本焼く。ヤツガシは豆まきが終わった後に八本まとめて軒下に挿す。煎った豆は大神宮様の棚に置く。豆まきは、夕食前に大神宮様の部屋、床の間、オエビス様の部屋、荒神様、ゴホゼンサマ(仏壇のある部屋)と順番に家の中の各部屋を回り、「福は内、福は内、鬼は外」といいながら豆をまく。
 須賀下のある家では、豆まきの豆を煎るときに鰯の頭を豆殻に刺したものを六、七本焼く。この鰯は年越しめざしともいう。この鰯を焼くときに「米の虫を焼く。麦の虫を焼く。豆の虫を焼く。」などと唱えながら唾をかけて焼く。焼いた鰯はまとめて、オエビス様に供えてから戸口に挿す。豆まきは歳神様、大神宮様、恵比寿・大黒様、荒神様、井戸神様、俵神様、セッチン神様(便所神様)の順にそれぞれの部屋をまく。節分の晩には年越しそば、冬至ゆずの味噌漬けを食べて福茶を飲む。
 山崎のある家では、節分に豆を食べるがまかない。