宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第四編 近現代

第九章 宮代町の誕生

第四節 カスリーン台風とその被害

百間村では、十三日から十五日にかけて豪雨にみまわれ、十四日の晩には利根川が危ないと言う情報も村民にもたらされたという。十六日早朝利根川決壊の報が入り、水害に対する対策について役場から通知がなされた。しかし、この日はうそのように秋晴れの良い天気であり、皆半信半疑で自転車で幸手方面へ見に行ってくる者もあり、その実情が伝えられ、急遽(きゅうきょ)家の片付け等を始めたが、夕方には山崎方面笠原沼あたりは水がきており、みるみるうちに水位は上昇したという。
 このように百間村では、直接流水の急襲から免れたため浸水の状況も非常に緩慢であったので「利根本流の決壊を耳にしても、出水を余りに過小評価し、大して気にとめていなかった程であった。」(県水害誌)という。しかし、予想に反して中島地区の古利根川が十六日午後六時、約二〇間(三六メートル)に渡って決壊し、奔流は上流より押し寄せた水と合流し、さらに諸河川の逆水と所々で交差・衝突するなど一時は水位も上がって上流へと逆流した所もあった。こうした事態に対し村では大洪水を予期し、警戒に相当の人員や資材を配してあったため、中島地区の決壊箇所に対して土俵六〇〇、一五〇人を動員してあたり、被害を最小限止めることができた。また、村内の浸水に対しては、消防団、青年団を動員して浸水防禦(ぼうぎょ)作業に必死の努力を続け、また、農業倉庫内にあった食料を安全な場所に移動させた。
 村内の被害は、橋梁の流失二か所、同大破一一か所もあり交通は一時全く機能しない状態にあった。床上浸水(五日間)七六六戸、床下浸水(三日間)二五七戸、合計一、〇二三戸に達した。二十二年度の世帯数が一、一七二戸であり、全世帯の八七パーセントが浸水の被害にあった。また、半壊した家屋二棟もあった。農地の冠水面積は水田二八八町歩、畑二五五町歩、合わせて五四三町歩に及び、村域八九〇町歩の六一パーセントが冠水した。冠水も長期にわたり、農作物も水腐し、収穫がまったくないところも数か所あった。また、死者が一人あり、尊い命が失われた。田畑の被害額は五万円、公共施設の被害額は九三二万九二〇〇円に及んだ。また、百間村では明治四十三年の大水害に比べて水位は水深平均二尺から三尺(七六~一二一センチ)以上もあったという。こうした洪水のさなか、九月十六日午後十時四十分頃、百間村の五人の青年による人命救助も報告されている。
 一方、須賀村国納八河内では十六日午後一時頃浸水、同七時頃に須賀辰新田に浸水し、全村ほとんど浸水した。これに先だって消防団等を召集し、村内の山林の樹木を伐採したり土俵を持ち寄ったりと防水に努めたが、急な増水に手の施しようもなかったという。床上浸水七三六戸、羅災人口四〇四八人であった。橋梁二か所、農道四一二間、水路二、四六四間、護岸九九〇間等の被害があり、田畑の被害額九万円、公共施設の被害額二九二万五〇〇〇円に及び、その被害額は百間村を上回った。備前堀が西粂原で二か所、延ベ一五メートルが、備前前堀は和戸で一九か所、延べ七八メートルが共に九月十六日夜半に決壊した。姫宮落は、東粂原で二か所、延一二メートルが九月十七日朝決壊した。こうした河川の水が溢れ、洪水が村内を襲った。
 周辺の村々でも大きな被害を受けた。幸手町(幸手市)では十六日午前十時ころ出水し、町内全戸(一八五二戸)が床上浸水となり、人命が失われるなど近隣でもっとも被害が大きかった。古利根川を隔てて須賀村の対岸にある高野村(杉戸町)でもほとんどの家屋が水没した。杉戸町、日勝(ひかつ)村(白岡町)、篠津(しのづ)村(白岡町)等でも多くの被害を出した。

4-107 カスリーン台風による被害(『ゆずりは』より転載)