宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第四編 近現代

第九章 宮代町の誕生

第四節 カスリーン台風とその被害

利根川も豪雨により次第に水かさもまし、栗橋付近では十五日九時三〇分に四・三メートル、十六日〇時二十分には九・一メートルと空前の記録を示した。ちなみに明治四十三年の大水では、六・三三メートルを記録しており、その大きさが分かる。北埼玉郡東村(大利根町)で堤防が決壊したのはちょうどその頃のことである。
 九月十五日午前十時頃より急激に増水し、村は水防準備に着手した。午後五時頃、流木が鉄橋に懸かり水の勢いがこれに阻まれた。午後九時突然危険を知らせる半鐘が鳴り響き、これを聞いた村民が堤防の上に結集し水防作業に全力で奮闘した。午後十一時近くに大字新川通地先菖蒲古河県道の付近一キロ、補強工事未完の所が越水しはじめた。濁流が膝を越すほどになりなすすべもなく、再度非常信号の半鐘を打ち鳴らし避難を急がせた。空前の満水となった十二時に近い頃、「大音響と共に、約四〇〇メートルに渉り崩壊、水は一大爆布となりて、堤下に落下、これがため付近数十戸の民家は見る間に押し流されてしまった。(中略)実に筆舌に尽し得ない修羅場と化してしまった。」(埼玉県水害誌)という。
 こうして、利根川の堤防は決壊し、その濁流は栗橋、幸手、杉戸、春日部、越谷、草加を経て東京湾へと南下した。
 また、加須方面や鷲宮・久喜・菖蒲・白岡方面等へと流れ、ことに白岡付近で荒川からの水と合流し、十六日には春日部付近に至り川幅三キロに及んだという。以降、冠水は二か月にも及んだ。

4-106 カスリーン台風の様子(赤松浅間社前)(青木氏所蔵)