宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第四編 近現代

第八章 戦時下の宮代

第一節 戦時下の体制

戦局が激しくなると国土防衛の必要性が高まり、灯火管制や防空演習が頻繁に行われた。昭和十四年一月に警防団令が公布され、防空、水防、消防などの警防活動に従事する団体が全国的に組織化された。これは従来の消防・水防を中心とした消防組に防護団が合体したもので、警察の補助機関としての役割を担っていた。
 同十二年四月二日公布の防空法により防空監視隊が設置され、埼玉県内には監視本隊五か所、監視哨六三か所が設けられた。防空監視は、荒川・利根川の流路に沿う線、東北本線・高崎線・東上線の線路に沿う線を重点として設置された。また、敵機の目標となる灯火を減光・遮光して航行を困難とする目的で灯火管制規制が翌十三年四月十日に施行された。灯火管制の指導は市町村と警察署であったが、指示や監督は警察署で行った。

4-80 国防婦人会役員(昭和10年代)(岩崎氏所蔵)


4-81 防空時ニ於ケル一般家庭ノ用意(折原家文書)

 同二十年七月ころになると空襲が激化してきた。県内における主な空襲は4-81のようになる。そのため埼玉県では防空壕(地下壕)の標準を定め、防護施設として奨励した。防空壕の目的は破壊用爆弾による弾片、爆風の作用などからの被害を避けることであった。防空壕の構築は次のようなものであった。
 一、地内の庭または宅地に設けること
 二、防空壕の収容人員は二〇人位を限度として、なるべく小さいものを分散的に設けること
 三、入口には防護塀を設けるか、入口を屈曲させること
 四、雨水の流入防止および排水について特に注意すること
 このように、屋敷の庭等に防空壕が造られ、空襲の際に逃げ込んだ。4-79にあるように杉戸駅(現東武動物公園駅)前にも造られたことがこの写真から分かる。

4-79 杉戸駅東口前防空壕(昭和19年頃)
(知久氏所蔵)