宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第六章 村の変化

第二節 村民の生業と生活の変化

文政十三年、改革組合村を通じて実施された農間余業調査のうち、特に別帳で調べられた「商売向き四品」(居酒屋・湯屋・髪結い・大小拵研屋)と質屋についてみてみると、幸手宿組合であった和戸村・国納村を除く町域の村方には、三五軒の家がそれらの農間渡世を営んでいた(文政十三年「組合村御用留」白岡町黒須家文書。文政改革と改革組合村については次節参照)。その一覧が、3-147である。

3-147 文政13年商売向き四品・質屋一覧(「組合村御用留」白岡町黒須一彦家文書)

 百間中島村では少なくとも八〇軒中三軒、百間村では一七九軒中一〇軒、百間東村一二八軒中八軒、須賀村一二五軒中九軒、久米原村六五軒中五軒が、渡世を営んでいた。業種では、居酒屋が一九軒と最も多く、続いて湯屋が八軒、髪結いが五軒、煮売が二軒、質屋が一軒であった。開業年代は、最も古いのは享保五年(一七二〇)居酒屋を開業した百間東村の彦七で、ほかの居酒屋も古くから開業した傾向にある。湯屋や髪結いが開業するのは、天明期からであり、文政期に居酒屋・湯屋・髪結いなどが多く開業した。近くに杉戸宿など町場があるにもかかわらず、居酒屋や湯屋などが町域で営まれたのは、それだけの需要とお金が村方にあったということであり、消費生活が村方へも広まってきている様子がうかがわれよう。この調査では「商売向き四品」と質屋に対象が限定されていたため、紺屋や穀屋などほかの商人や、酒造などの醸造業、大工などの職人、奉公人の記載はないが、既にみてきた資料には散見され町域に多数存在していたことと思われる。明治三年(一八七〇)の事例では、国納村には鍛冶職が一人いた(「渡世向書上」鷲宮町相沢家文書)。

3-148 諸商人・職人開業年代 (3-149に出典同じ)