宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第五章 江戸時代の宗教と信仰

第四節 寺社の参詣

 近世中期以降は、葬式、法要、墓碑建立などの定着、風習化、縁日、開帳の賜わり、神社仏閣への参詣など宗教的行事へ庶民の参加が活発化してくる。特に寺院の縁日は、八日が薬師、十八日が観音、二十八日が不動であり、各地の寺院は賑わいを呈している。庶民が諸国へ参詣するには、寺院が発行した「往来一札」または「往来手形之事」という手形を持参して旅に出るのが通例である。
 当時の人々は、浅草観音、秩父三十四ヶ所札所、妙義権現、榛名山、善光寺、成田不動尊、西新井厄除大師などへ参詣しているが、遠国では西国三十三ヶ所札所、四国八十八ヶ所札所、伊勢、羽黒山、近郷では秩父三十四番札所、西国三十三ヶ所札所、坂東三十三ヶ所を模した札所などに参詣している。これらの様子は、「道中日記」や「日記」などに記されている。また、「道中記」「霊場記」などの出版物も活発となり、当時の興隆を知ることができる。このことは、旅が民衆のあいだに温泉の湯治、社寺参詣という名目のもとに、遊び、遊楽へとつながって行った。元禄以降の社寺参詣は、特に行楽化し、社寺参りの中で旅の喜びにひたろうとして、近郷の寺社がにぎわい、この楽しみの場を求める民衆の強い要望により札所が各地に新設されるようになってくると札所の地方版が乱立した。その一つが寛政十年(一七九八年)百間西光院を結願とする「西国八十八ヶ所写」が開設されている。当時の人々は、遠近にかかわらず神参り、寺参りといった信仰を装わなければ行楽の機会が持ちにくかったことが、札所の増加、旅人の増加へと発展していったのである。このことは、観音信仰のみならず、地蔵信仰、薬師信仰、不動信仰などにも広がり、民間信仰普及と隆盛は、信仰対象の拡大を生んだのである。埼玉県内の主な札所は3-133のようになる。

3-133 県内の主な札所

 札所を巡る巡礼者は、いくつかの習俗を守り実行しなければならないほど重んぜられている。拝むための身づくろいは、「笈摺(おいずり)」「納経」「納札」「巡礼歌」「三十三度拝」などという型で守られている。『守貞漫稿』に、「西国三十三所観音に順詣するもの、その扮装、男女とも平服の表に、木綿の袖無半身の単を着す。号けて負づると云ふ。父母のあるものは左右茜染め、片親あるものは中茜染め、父母ともなきものは全く白なり、三十三ヶ所一拝ごとにその寺の印を押せり」とある。また、『西国霊場記』には、「肩にかけし三幅のきぬは慈悲の三体として、中は弥陀如来、両わきは観音、勢至としたるなり。始終せなかに負い奉り廻る事なり、されば十ヶの徳あるべきことなり」とある。十ヶの徳とは、「順礼之徳」とも称されている。菅笠は、道中の雨をしのぎ、日盛りに備えての必要品であり、「迷故三界域(迷うが故に三界は域なり)、悟故十方空(悟るが故に十法は空なり)、本来無東西(本来東西無し)、何処有南北(何処にか南北有らん)、同行二人」と書き込まれている。「同行二人」とは、一人で巡礼に出ても観音様といつも一緒の二人という信仰から書かれる。近世の人々は、近郷の札所の写を信仰することを「是一度順礼するハ人の常」と記している。
 宮代町にある寺社参詣関係の古文書は3-134の通りである。

3-134 寺社参詣関係文書一覧