宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第五章 江戸時代の宗教と信仰

第二節 村々の寺社の由来

須賀村の鎮守である。当地は、鎌倉街道が通過していると伝えられているが、寛喜(かんぎ)二年(一二三〇)に小山朝政譲状に「武蔵国上須賀郷」と見られる。身代神社は、土地の人は「コノシロジンジャ」「明神様」と称しているが、『新編武蔵』には「コノシロミョウジンシャ」とある。創建は、仁治三年三月に勧請されたという。一説には、大宮の氷川大明神と同神で素盞嗚命(すさのおのみこと)が大蛇を退治して心が清々しくなったとの故事により、この地を須賀村と称し、別当寺は、蛇の縁により龍光院と称するようになったという。また、伝承には、ある武将が奥州に落ち延びるときに、武将の姫が追っ手に捕えられそうになった。その時に、村人がコノシロという魚を焼いたところ、この匂いが人を焼いた臭気に似ていたので、村人は追っ手に対して「姫は死んだ」と言って、姫を救ったところから、姫は、感謝してコノシロにちなんで身代神社を祀ったという。主祭神は、素盞嗚尊を祀るという。天和(てんな)二年(一六八二)三月二十八日に再興したと伝えられている。神社の脇にある身代池には、「オイテケ伝承」や「龍神伝承」がある。境内には四十七庚申が造立されている。

3-127 身代神社