宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第五章 江戸時代の宗教と信仰

第二節 村々の寺社の由来

久米原村(東粂原村)の鎮守である。当地は、「宿屋敷」と呼ばれ、鎌倉古道の伝承も残っている。また、戦国時代には市も立っていたという。天正十八年(一五九〇)の「北条家安堵状」によると「岩付領久米原村之内三貫文」を鷲宮町の鷲宮神社に寄進している。また、社伝によると観応二年(一三五一)に足利基氏が久米原村など一八か村を社領として寄進したという。久米原村は元来一村であったが、化政期(一八〇四~一八三〇)に下総佐倉藩領および旗本領(渥美氏、細井氏)を東粂原、一橋家領知を西粂原と称するようになったと『武蔵国郡村誌』には記されている。
 この鷲宮神社は、大聖院の持で、東粂原の鎮守として祭られた。土地の人々には、〝わしっさま〟〝おわしさま〟と称されている。祭神は、天穂日命を祀っている。この地の獅子舞は、延享二年(一七四五)ごろ古利根川が氾濫し、疫病が蔓延したときに、これは神の怒りであると考えた氏子が、この怒りを鎮めるために杉戸に赴いて習い、奉納したことに始まるといわれている。(『埼玉の獅子舞』)