宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第五章 江戸時代の宗教と信仰

第二節 村々の寺社の由来

和戸村に所在し、宗派は新義真言宗である。内国府間村正福寺の末寺で、巌松山極楽寺と称し、本尊は阿弥陀如来を祀っている。創立は、久寿(きゅうじゅ)二年(一一五五)願西房空理上人が開基したと伝えられている。明徳二年(一三九一)中興の中算律師日真上人が名称を西福寺と改称し、日真房宥誉の代の永正五年(一五〇八)に岩舟山極楽寺と称するようになった。
 第七世法印乗翁、第八世法印乗隆の代に寺子屋が開かれていた。境内地には、小島平右衛門(こじまへいうえもん)が西国、坂東、秩父百ヶ所を巡礼した供養として享保十二年(一七二七)に笠付宝篋印塔を造立している。
 新四国八十八ヶ所の開闢には和戸村の小島七左衛門、小島平右衛門、小島清太郎が参画しており、この新四国八十八番の第七三番で和戸村岩巌山西方院と称され、ご詠歌は「うらやましいかなるひとのわたるらん われをミちひけ のりのはしもり」と詠われている。
 文久三年(一八六三)の西方院本堂絵図には、境内八反六畝六歩は除地とあるが、和戸村明細帳(鈴木家文書)には境内七反五畝二六歩とある。村内の第六天、浅間宮、愛宕権現宮は、西方院の抱で、三社の合計二反三畝二三歩は除地となっている。

3-122 和戸村明細帳
(鈴木家文書)