宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第五章 江戸時代の宗教と信仰

第二節 村々の寺社の由来

東粂原村に所在し、宗派は新義真言宗である。百間東村西光院の末寺で、明王山と称し、本尊は不動明王を祀る。西粂原村の檀家は一五軒を数える。大聖院の抱寺として大福寺(だいふくじ)(大日堂)があった。境内墓地の墓石から没年順に歴代住職を並べると3-119のようになる。

3-119 大聖院歴代住職一覧

 大聖院は、安永年間(一七七二~一七八一)ごろから青林寺の隠居寺になったことが知られる。また、皆空の碑文は、鹿室村(かなむろむら)の漢学塾々長である新井桐蔭(あらいとういん)が二六才の時に作った碑文である。また、西原村(西粂原村)、江戸神田多町二丁目、江戸瀬戸物町などの人々により、大般若経典(だいはんにゃきょうてん)(唐三蔵法師玄奘奉詔訳)鉄眼本が二部寄進されている。
 新四国八十八ヶ所の第七〇番で明王山大聖院と称し、ご詠歌は「はやミさきまうせの ふねのかぢまくら うきしつむよを よそにゆめミて」と詠われている。