宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第五章 江戸時代の宗教と信仰

第二節 村々の寺社の由来

百間中島村に所在し、宗派は新義真言宗である。百間東村西光院の末寺で、稲荷山宗祐寺と称し、本尊は不動明王を祀る。創立については当村の名主徳右衛門(とくうえもん)の先祖島村出羽宗明が開基したという。宗明は、先祖を島村弾正高智といい、近江国に住み、室町幕府の管領細川高国に仕え、享禄四年(一五三一)六月二十四日摂州尼崎(せっしゅうあまがさき)(兵庫県尼崎市)で没したので、高智の子近江入道道明貴繁は東国に下りて当村に住し、天正十二年(一五八四)八月十五日に没した。道明の次子出羽宗明正明は、寛永元年十月五日葬し、法名を宗祐と称すという。一説には、島村出羽守正明が、天文年中(一五三二~一五五五)の開基にして、稲荷山宗祐寺医王院と称し、延宝八年山号を明王山と改称する。
 新四国八十八ヶ所の第八二番で中島村稲荷山医王院といわれ、ご詠歌は「おとにきく 大師のとくのいなりやま みねふくかせも ミのりなりけり」と詠われている。また、境内地には、新四国八十八ヶ所第八二番の大師堂が祀られている。