宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第五章 江戸時代の宗教と信仰

第二節 村々の寺社の由来

百間中村に所在し、宗派は新義真言宗である。宝性院、法勝院と表記されている。本寺は、百間東村の西光院で、姫宮山と称し、本尊は不動を祀る。境内地に釈迦堂(本地堂)があり釈迦如来を祀っている。百間村にある八幡社と姫宮社の別当を務め、八幡社地二畝歩、姫宮社地六畝一五歩は除地となっている。開山は、宥慶(ゆうけい)といい、明応九年(一五〇〇)に没したとある。近世で一番古い住持は法印宥香で、不動堂(神外坊(じんがぼう))を開基し、元和元年(一六一五)三月二十一日に没している。
 寺の規模は、境内地三一二九坪六合、寺の建坪六一坪半、本地堂は二間半四方で坪数は六坪二合五勺で向拝付、不動堂は二間半四方で建坪六坪二合五勺、不動堂番所は二間半の三間で建坪は七坪半、表門は梁間九尺、桁行二間を数える。本地堂は、百間村姫宮社を預かる。
 新四国八十八ヶ所の八五番で百間村百間山宝性院といわれ、ご詠歌は「いさしらず こころにとへハ いかゞセん おもふあふセの はなをたふけて」と詠われている。

3-115 改修前の宝生院本堂 (昭和50年代)