宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第五章 江戸時代の宗教と信仰

第二節 村々の寺社の由来

百間村に所在し、宗派は新義真言宗である。百間東村西光院の末寺で、星谷山千手院真光坊といい、本尊に不動を祀る。寺伝によると、「昔は山崎のカネツカにあったが火災にあったので現在地に移転した。」という。寺の開山は不明である。中興開山法印宥源は、天正元年(一五七三)に没しているが、中興法流開山は享和元年(一八〇一)七月三日に没している阿闍梨(あじゃり)法印宥誡とされている。境内地は三六二八坪六合、寺の建坪は八九坪、境内地には、縦・横共二間半の観音堂がある。表門は、梁間九尺、桁行二間であった。
 寛政十年(一七九八)四国八十八ヶ所を模して、埼玉郡、葛飾郡の地域に八十八ヶ所霊場が創立され、「新四国八十八ヶ所」と称され、青林寺は八三番であった。ご詠歌に「なにしおふ はなにこころの のこるなん そでの かほりハ のちのよのため」と詠われる寺であった。
 寺の前を通る道は、「ババミチ」「田むかい」などと称され、昔からの古道といわれている。また、現在の寺を中心とした地域は旗本服部政光(はたもとはっとりまさみつ)陣屋跡と伝えられている。また、百間村絵図(折原家文書)には、森川下総守(もりかわしもうさのかみ)御知行所真言宗青林寺朱印地と表記されている。村内の稲荷大明神(いなりだいみょうじん)社の別当を務めている。