宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第三章 笠原沼の開発

第三節 用水路と排水路の整備

当町には古利根川をはじめ、数多くの河川や用排水が流れている。今日のような流路の原形となったのは、笠原沼が開発された江戸時代中ごろであったと推測される。しかし、当時の用排水は、現在の確定された流路とは異なり、洪水などの災害により流れがすぐに変化してしまう不安定なものであった。また、呼び方も村によって異なるようなものも多く、単に堀、用水などと表されるものも少なくなかった。
 明治の初めに編纂(へんさん)された『武蔵国郡村誌』によれば、騎西領大落堀、姫宮堀、笠原落堀、隼人堀、笠原用水(笠原南側用水、笠原北側用水)、悪水付廻堀・笠原付回堀、悪水備前堀、悪水野牛高岩落堀、姥ヶ谷落堀、鹿沼用水、前堀、中落堀、横町中溝の名が確認できる。

3-66 用悪水絵図 (岩崎家文書)

 騎西領大落堀は、吉羽村から粕壁橋の一〇〇間下までの延長六七六七間、幅は一二間から二五間の堀である。騎西領村々の悪水を落してきたため大落堀と呼ばれ、騎西領七八か村で組合を組織している。当町へは吉羽村(よしばむら)から和戸村・国納村へ入り、須賀村、百間村を経て梅田(うめだ)村へ至っている。
 姫宮堀は、古くから堀があり、開削年代は不明である。蓮谷村から東村で大落堀へ合流する延長一七八三間、幅が平均二間半の堀である。普請組合は蓮谷村、須賀村、東粂原村、爪田ヶ谷村(つめだがやむら)、中島村、百間村、西村、東村の八か村である。
 悪水付廻堀・笠原付回堀は、笠原沼の開発に伴い、沼に排水していた悪水野牛高岩落堀、河原井沼落堀を姫宮堀に接続するために享保十三年(一七二八)に開削された。爪田ヶ谷村から東粂原村、須賀村を経て蓮谷村へ至り、姫宮堀に合流している延長が九六二間、幅が平均三間堀である。組合は上野田村(かみのだむら)、下野田村(しものだむら)、西粂原村、高岩村(たかいわむら)の四か村である。
 悪水野牛高岩落堀は、古くから堀があったと伝えられている。正徳三年(一七一三)には、新井白石(あらいはくせき)によって新たな堀が開削されている。流路は野牛村に源を発し、東粂原村で河原井沼落堀に合流する延長が二七六六間で、幅が平均一丈の堀である。当町へは高岩村から西粂原村に入り、爪田ヶ谷村へ至り、東粂原村で河原井沼落堀に合流している。組合は、野牛村、下早見村(しもはやみむら)、高岩村、上野田村、西粂原村の五か村である。
 笠原落堀は、笠原沼落堀とも呼ばれ、中島村新田から東村地内で大落堀へ合流する延長一万五一二三間、幅が平均二間の堀である。笠原沼の開発に伴い、享保十三年に開削された堀である。当初は姫宮堀に合流させていたが、水量が多いときには排水ができないため、翌十四年新たに大落堀に合流する堀を開削している。組合は、爪田ヶ谷村、東粂原村、須賀村、蓮谷村、中島村、百間村、西村、東村、須賀村の内笠原下野田請の九か村である。笠原沼落堀には笠原中落堀と逆井新田落が接続され、笠原中落堀は、笠原沼の開発に伴い、沼水の排水のために開削された延長が七五〇間、幅が平均一間半の堀である。逆井新田落は、逆井の開発に伴い、排水のために享保九年に開削された堀である。当初は笠原沼へ排水していたが、享保十三年に沼縁を付け回し、笠原沼落堀へ合流させている延長が五三〇間、幅が平均三尺の堀である。
 笠原用水は、笠原沼代用水とも呼ばれ、笠原沼の開発に伴い、享保十三年に開削された。戸ヶ崎村(とがさきむら)で星川から分水し、さらに除堀村で黒沼代用水と笠原沼代用水の二派に分流している。水路の総延長は約六〇〇〇間、幅は二間の堀で、灌漑した後は大落堀へ合流している。当町へは高岩村から西粂原村へ入り、日光御成道の東で二派に分かれ、一派は南側と称して爪田ヶ谷村、百間村を経て内牧村へ至っている。一派は北側と称して東粂原村、須賀村、百間村へ至り、字柚の木で姫宮堀へ合流している。組合は二七か村に及び、当町では西粂原村、東粂原村、東粂原村新田、須賀村、須賀村新田、蓮谷村、蓮谷村新田、中島村、中島村新田、百間村、百間村新田、百間西村、百間西村新田、百間東村、百間東村新田が属している。

3-67 昭和40年代の笠原付近航空写真

 隼人堀は、古くから堀があり、開削年代は不明である。寺塚村地内の栢間堀と庄兵衛堀の落合から梅田村地内の大落堀までの延長四四五二間、幅は平均四間の堀である。当町へは太田新井村から百間村へ入り、内牧村(うちまきむら)へ至っているが、当町の村々は組合には属していない。
 悪水備前堀は、古くから堀があり、伊奈備前守(いなびぜんのかみ)によって開削されたと推測される。江面村(えづらむら)に源を発し、和戸村で大落堀に合流する延長が二六〇九間で、幅が平均四間の堀である。当町へは高岩村から西粂原村に入り、国納村・和戸村を流れているが、当町の村々は組合には属していない。
 前堀は、古くから堀があり、江面村に源を発し、和戸村で大落堀に合流する延長が二七九三間、幅は平均三間の堀である。当町へは太田袋村(おおたぶくろむら)から国納村に入り、和戸村を流れているが、当町の村々は組合には属していない。
 姥ヶ谷落堀は、享保七年又は九年(辰年を確認)に開削された排水路で、流路は太田袋村から国納村を経て、須賀村で大落堀に合流している。延長八五〇間、幅平均四尺五寸で、組合は、太田袋村、国納村、和戸村、西粂原村、高岩村の五か村である。
 中落堀は、古くから堀があり、久本寺村に源を発し、国納村で大落堀に合流する延長が二五二〇間、幅は平均二間の堀である。当町へは吉羽村から和戸・国納村へ入っているが、当町の村々は組合には属していない。
 鹿沼用水は、和戸村から須賀村を経て笠原北側用水に合流している。
 横町中溝は、和戸村・国納村字沖の山から起こり、大落堀へ合流している。