宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第一章 宮代の領主たち

第四節 町域の藩領

 久喜鷹場は慶長六年(一六〇一)に徳川家康から伊達政宗に与えられた鷹場である。江戸近郊には御三家を中心とした鷹場は複数確認されているが、その中でも久喜鷹場は非常に早い段階で拝領した鷹場である。これは慶長六年という年代からも明らかな通り関ケ原の合戦の戦巧として与えられたものだと考えられる。その後、久喜鷹場は寛文元年(一六六一)に藩主が幼いとの理由で幕府に返上された。
 久喜鷹場の範囲は3-28によると現在の埼葛地区北部、北埼玉郡、古河、館林に至る広大な範囲になり、御殿のあった久喜はその南の外れにあたる。宮代町の地名としては「国納村」「和戸橋」「はすや村」「堂佛村」「須か村」が確認できる。
 御鷹場返上後の貞享元年(一六八四)に作成された「御鷹場村数之覚」によると幸手領、百間領、岩付領、騎西領・羽生領、久喜領で一三一か村の村名が記されている。宮代町の地名としては久喜領として「和戸村内ニおきの山村」「国納村内ニ八川内村」、岩付領として「久米原村」、百間領として「須賀村」「道佛村」「蓮谷村」「西原村」「戸崎村」「中村」が確認できる。道仏村(後の百間中島村)、戸崎村(後の百間東村)西原村(後の百間村)等の古い地名や沖の山村、八川(河)内村などの私称の村も確認でき宮代町の村を考える上でも非常に貴重な資料といえる。

3-28 久喜御鷹場絵図 (仙台市立博物館所蔵 久喜市公文書館提供)