宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第一章 宮代の領主たち

第三節 元禄の地方直し

『新編武蔵』の百間村の項に「今は森川伊豆守・松波貞太郎(もりかわいずのかみ・まつなみさだたろう)の知る所なり」と記されている。武蔵国埼玉郡に知行地を持つ松波家は、松波政俊(まつなみまさとし)を祖とする松波家と考えられる。
 『寛政重修諸家譜』によれば、政俊は秀忠に仕え、甲斐国に三〇〇石を与えられている。慶安三年に政治が遺領を継ぎ、寛文元年に常陸国(ひたちのくに)(茨城県)行方郡(なめかたぐん)、信太郡(しだぐん)に領地を移されている。その後、寛文三年には二〇〇俵を加えられ、同八年に正信(まさのぶ)が遺領を継いでいる。貞享四年には正次(まさつぐ)が継ぎ、元禄十年に稟米分を上総国山辺郡・武射郡(むさぐん)に二〇〇石の領地を与えられている。元禄十三年七月十一日には正春(まさはる)が遺領を継ぎ、元文元年に武蔵国埼玉郡において五〇〇石を加えられ、都合一〇〇〇石の旗本となっている。このとき百間村を支配するようになったと考えられる。正春は延享元年(一七四四)六月二日に没し、その後を正峰(まさみね)が、明和六年には正方(まさかた)が、安永三年には正武(まさたけ)が継いでいる。

3-16 旗本松波氏支配領域